・・・ だから、早く云って見れば、文学と接触して摩れ摩れになって来るけれども、それが始めは文学に入らないで、先ず社会主義に入って来た。つまり文学趣味に激成されて社会主義になったのだ。で、社会主義ということは、実社会に対する態度をいうのだが、同・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・哲学上の見解から小説と人生との接触を見たんではないらしい。にも係らず其無意味のことに意味をつけて、やれ触れたの、やれ人生の真髄は斯うだのと云う。一片の形容詞が何時の間にか人生観と早変りをするのは、これ何とも以て不思議の至りさ。 いや、何・・・ 二葉亭四迷 「私は懐疑派だ」
・・・ 日本の婦人作家が幾人か、戦時中、海をわたって、彼女たちにとってはじめての海外旅行をし、他国の人々に接触した。そのとき、それらの人々のおかれた役割はなんであったろう。侵略の銃につけられた花束であったというのだろうか。それとも、故国にとり・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・わたしたちが激しい現実を生きてゆく道で、偶然に接触するいろいろの現象を箱入り風にあらかじめ選んでゆけるわけはない。肉体とともに精神も、実に荒っぽくもまれる。エロティックなものにもふれ、人格分裂の風景にふれる。その、それぞれに反応する生きた心・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・内科の家庭医となって、一つの家庭に接触すると、病気そのものよりも、むしろ、病気をしている主人なり妻なり老人なりに対するその家族のひとたちの感情の複雑さにおどろく場合が少くないと云われています。看護婦の立場も全くそのとおりと思われますが、わた・・・ 宮本百合子 「生きるための協力者」
・・・この文壇の人々と予とは、あるいは全く接触点を闕いでいる、あるいは些の触接点があるとしても、ただ行路の人が彼往き我来る間に、忽ち相顧みてまた忽ち相忘るるが如きに過ぎない。我は彼に求むる所がなく、彼もまた我に求むる所がない。縦いまた樗牛と予との・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・隣家の子供との間に何等の心的接触も成り立たない。そこでいよいよ本に読み耽って、器に塵の附くように、いろいろの物の名が記憶に残る。そんな風で名を知って物を知らぬ片羽になった。大抵の物の名がそうである。植物の名もそうである。 父は所謂蘭医で・・・ 森鴎外 「サフラン」
・・・その頃種々な人に接触した結果、無政府主義になったのだそうだ。それから彼得堡の大学に這入って、地学を研究した。自分でも学術上に価値のある事業は、三十歳の時に刊行した亜細亜地図だと云っている。Jura へ行ったのも、英国で地学上の用務を嘱托せら・・・ 森鴎外 「食堂」
私が漱石と直接に接触したのは、漱石晩年の満三個年の間だけである。しかしそのおかげで私は今でも生きた漱石を身近に感じることができる。漱石はその遺した全著作よりも大きい人物であった。その人物にいくらかでも触れ得たことを私は今でも幸福に感じ・・・ 和辻哲郎 「漱石の人物」
・・・西田先生はその八月の末に東京に移られたが、九月には井上、元良、上田などの諸氏としきりに接触していられる。そうして十月十日の日記には「午前井上先生を訪う。先生の日本哲学をかける小冊子を送らる。……元良先生を訪う。小生の事は今年は望みなしとの事・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫