・・・さあ、責めるなら責めて来いッって、俺も堪らんから火のついた炭俵を投げつけてやったよ。もうあんな恐ろしいものは居ないから、安心しよや。もうもう大丈夫だ。ゆうべは俺もよく寝られたし、御霊さまは皆を守っていて下さるし、今朝は近頃にない気分が清々と・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・その間老人は、いつも右の手をずぼんの隠しに入れて、その中にある貨幣を勘定して、自分で自分を責めるような独言を言っていたのである。 その内そこへ婆あさんが一人見えて来た。小さい腰の曲った婆あさんである。籠を持って一軒一軒廻っている。この為・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・敢えて責めるべき事で無いかも知れない。人間は、もともとそんな、くだらないものであります。この利巧な芸術家も、村役場に這入って行く女房の姿を見て、ちょっと立ちどまり、それから、ばかな事はしたくない、という頗る当り前の考えから、くるりと廻れ右し・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・いや、責めるのじゃない。人を責めるなんて、むずかしい事だ。僕は、わかったけれども、何も言えなかったのだ。言うのが、つらくて、いっそ知らん振りしていようかとさえ思ったのだが、いまビイルの酔いを借りて、とうとう言い出したわけだ。いや、考えてみる・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・三田君は、戸石君と二人きりになると、訥々たる口調で、戸石君の精神の弛緩を指摘し、も少し真剣にやろうじゃないか、と攻めるのだそうで、剣道三段の戸石君も大いに閉口して、私にその事を訴えた。「三田さんは、あんなに真面目な人ですからね、僕は、か・・・ 太宰治 「散華」
・・・人を責める資格は、私に無い。私は、悪の子である。私は、業が深くて、おそらくは君の五十倍、百倍の悪事を為した。現に、いまも、私は悪事を為している。どんなに気をつけていても、駄目なのだ。一日として悪事を為さぬ日は、無い。神に祷り、自分の両手を縄・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・ 私だとて、その方面では、人を責める資格が無い。鎌倉の事件は、どうしたことだ。けれども私は、その夜は煮えくりかえった。私はその日までHを、謂わば掌中の玉のように大事にして、誇っていたのだということに気附いた。こいつの為に生きていたのだ。・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・白梅の花を見て色のないのを責めるような種類の云わば消極的な抗議が、時と場合によっては幅を利かして審査の標準を狂わせるようなことも全くないとは云われない。審査員というものが神様でない以上これも止むを得ないことである。ましてや論文が独創的なもの・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・をしている」と言って憤慨するのと似たことが実際にしばしば起こるのである。あるいはまた、陶土採掘者が平気でいても、はたのものが承知しないで、頼まれもせぬ同情者となって陶工の「不徳義」を責めるような事件が起こることもある。陶工の得た名声や利得が・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
・・・これに対する世評も区々で、監督の先生の不注意を責める人もあれば、そういう抵抗力の弱い橋を架けておいた土地の人を非難する人もあるようである。なるほどこういう事故が起こった以上は監督の先生にも土地の人にも全然責任がないとは言われないであろう。し・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
出典:青空文庫