・・・ けれ共彼女の身動きもしない様に落着いて居る傍には漸々病の攻めから幾分ずつ逃れられて来た希望に満ちた美くしい子が安らかな眠りに落ちて居ます。 寝食を忘れて愛子を取り守って居る母親は喜ばしい安心に心からの眠りを続けて居るのです。 ・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・ 昼は悪い道に行きなやみ、夜は、虫共に攻められる馬は、なみよりも早く老いさらぼいて仕舞うのである。もし斯う云う生活さえさせられなかったなら、この種の良い、三春馬や相馬馬はそんなに早く、みぐるしい様子にはならないだろうのに、馬までが主の小・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・竹内市兵衛の子吉兵衛は小西行長に仕えて、紀伊国太田の城を水攻めにしたときの功で、豊臣太閤に白練に朱の日の丸の陣羽織をもらった。朝鮮征伐のときには小西家の人質として、李王宮に三年押し籠められていた。小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出さ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・情偽があろうかという、佐佐の懸念ももっともだというので、白州へは責め道具を並べさせることにした。これは子供をおどして実を吐かせようという手段である。 ちょうどこの相談が済んだところへ、前の与力が出て、入り口に控えて気色を伺った。「ど・・・ 森鴎外 「最後の一句」
豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※の国書は江戸へ差し出した。次は上々官金僉知、朴僉知、喬僉知の三人で、これは・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
・・・煙は風呂場の下から逆に勘次の眼を攻めて、内庭へ舞い込むと、上り框から表の方を眺めている勘次の母におそいかかった。と、彼女は、天井に沿っている店の缶詰棚へ乱れかかる煙の下から、「宝船じゃ、宝船じゃ。」と云いながら秋三が一人の乞食を連れて這・・・ 横光利一 「南北」
・・・そして今逆に先手を打って、安次を秋三から心良く寛大に引き取ってやったとしたならば、自分の富の権威を一倍敵に感ぜしめもし、彼の背徳を良心に責めしめもする良策になりはしないか、と考えついた時には、早や彼は家に帰って風呂の湯加減をみる為に、一寸手・・・ 横光利一 「南北」
・・・「しかし、この魚にとりまかれた肺病院は、この魚の波に攻め続けられている城である。この城の中で、最初に討死するのは、俺の家内だ。」と彼は思った。 事実彼にとって、眼前の魚は、煙で彼の妻の死を早めつつある無数の勇敢な敵であった。と同時に・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・三 また、私は人を責めることの恐ろしさをもしみじみと感じました。私はある思想に拠って行為を非難する事があります。そうして時には自分の行為もまた同じように非難せられなければならない事を忘れています。 ある時私は友人と話して・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫