・・・五十人の研究の中でただの一つでも有利な結果が飛び出せば、それから得られる利益で、学者の五十人くらい一生飼い殺しにしても、なお多大の収益があるからとのことであった。戦後の世智辛さではどうなったかそれは知らない。とにかく日本などでは、まだなかな・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・雅人ハ則紅袖翠鬟ヲ拉シ、三五先後シテ伴ヲ為シ、貴客ハ則嬬人侍女ヲ携ヘ一歩二歩相随フ。官員ハ則黒帽銀、書生ハ則短衣高屐、兵隊ハ則洋服濶歩シ、文人ハ則瓢酒ニシテ逍遥ス。茶肆ノ婢女冶装妖飾、媚ヲ衒ヒ客ヲ呼ブ。而シテ樹下ニ露牀ヲ設ケ花間ニ氈席ヲ展ベ・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ わたくしは戦後人心の赴くところを観るにつけ、たまたま田舎の路傍に残された断碑を見て、その行末を思い、ここにこれを識した。時維昭和廿二年歳次丁亥臘月の某日である。 ○ 千葉街道の道端に茂っている八幡不知の藪・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・ ○ 戦後に逢う二度目の秋も忽ち末近くなって来た。去年の秋はこれを岡山の西郊に迎え、その尽るのを熱海に送った。今年下総葛飾の田園にわたくしは日ごとに烈しくなる風の響をききつつ光陰の早く去るのに驚いている。岡山に・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・この小説の中に、かつてシャンパンユの平和なる田園に生れて巴里の美術家となった一青年が、爆裂弾のために全村尽く破滅したその故郷に遊び、むかしの静な村落が戦後一変して物質的文明の利器を集めた一新市街になっているのを目撃し、悲愁の情と共にまた一縷・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・当時の世の中を回顧するにはよい材料である。戦後文学また娯楽雑誌が挿絵といえば女の裸体でなければならないように一様に歩調を揃えているのも、後の世になったらむしろ滑稽に思われるであろう。 舞台で女の裸体を見せるようになった事をわたくしが初め・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・名目は、腕力のあるペン・マンによって、盛り場のゴロツキを征圧しようというのであったが、このことは、今日らしい戦後風景としては笑殺されなかった。すぐ新聞に、それに対する批判があらわれた。そしてそれは当然そうあるべきことであった。一九四六年、日・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
・・・○ 手術した晩に、安らかな気持なのだが頭の中がオレンジ色がかった明るさで、いかにも譫語が云いたくてたまらなかったのは面白い。薬のためにああいう状態になっているときの譫語は、全く我を知らずに口走るのではなくて、先ず、何かとりとめなく喋りた・・・ 宮本百合子 「寒の梅」
・・・ 敗戦後の日本に、肉体派とよばれる一連の文学があらわれた。過去の日本の封建性、軍国主義は、日本のヒューマニティーを封鎖し、破壊し、生命そのものをさえ、その人のものとさせなかった。ヒューマニティーの奪還、生命に蒙った脅迫への復讐として、あ・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・肉体派、中間小説派の作者たちとその作品のそまつな戦後的商品性を、へど的にむき出してその安価さを排撃した。けれども、「小豚派作家論」と題してきり出された勇ましいその評論も、すえは何となししんみりして、最後のくだり一転は筆者がひとしおいとしく思・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
出典:青空文庫