・・・斯くして人道主義の最も敬虔にして勇敢な戦士の赤誠を心ある人々の胸から胸へ伝えている。 こうした涙ぐましい、謙譲にして真摯の芸術こそ、今日のような虚偽と冷酷と圧迫と犠牲とを何とも思っていない時代によって、まさしく正しい人々の胸に革新の火を・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・結婚式を帰還するまでのばすのは、何か戦死を慮っているようで、済まないと、両親を説き伏せた。 二日のちにはもう結婚式が挙げられた。支度もなにもする暇もない慌しい挙式であった。そして、その翌日の夜には彼ははや汽車に乗っていた。再び戦地へ戻っ・・・ 織田作之助 「十八歳の花嫁」
・・・喜美子が教えていた戦死者の未亡人達が、やがて卒業して共同経営の勲洋裁店を開くのだと言って、そのお礼かたがた見舞いに来た。 道子がそのひと達を玄関まで見送って、部屋へ戻って来ると、壁の額の中にはいっている道子の卒業免状を力のない眼で見上げ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・父中隊長の戦死後その少年が天涯孤独になったのを三人が引き取って共同で育てているのだ。 三人は毎朝里村千代という若い娘が馭者をしている乗合馬車に乗って町の会社へ出掛けて夕方帰って来るが、その間小隊長は一人留守番をしなくてはならなかった。あ・・・ 織田作之助 「電報」
・・・頓て浮世の隙が明いて、筐に遺る新聞の数行に、我軍死傷少なく、負傷者何名、志願兵イワーノフ戦死。いや、名前も出まいて。ただ一名戦死とばかりか。兵一名! 嗟矣彼の犬のようなものだな。 在りし昔が顕然と目前に浮ぶ。これはズッと昔の事、尤もな、・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ ――戦死者中福井丸の広瀬中佐および杉野兵曹長の最後はすこぶる壮烈にして、同船の投錨せんとするや、杉野兵曹長は爆発薬を点火するため船艙におりし時、敵の魚形水雷命中したるをもって、ついに戦死せるもののごとく、広瀬中佐は乗員をボートに乗り移・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・また最近の支那事変で某陸軍大尉の夫人が戦死した夫の跡を追い海に入って生命を捨てた事実は記憶に新しい。その戦死した夫の遺書には、「再婚せんと欲すれば再婚も可なり。此の世に希望なくば潔く自決すべし」と書いてあった。そして未亡人は・・・ 倉田百三 「人生における離合について」
・・・ 彼等は、誰も、ものを云わなかった。毛布をかむって寝台からペンキの剥げたきたない天井を見た。 戦死者があると、いつも、もと坊主だった一人の兵卒が誦経をした。その兵卒は林の中へもやって行った。 林の中に嗄れた誦経の声がひゞき渡ると・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・将校は営外に居住し得、妻帯し得るのに対して、下士以下兵卒は兵営に居住しなければならないし、妻を持ち得ない生活条件から、そういう結果になっていた簡単な事実が、独歩には気がつかなかったものらしい。戦死負傷についても、彼は年少士官のそれに最も多く・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・ 如意輪堂の扉にあずさ弓の歌を書きのこした楠正行は、年わずかに二十二歳で戦死した。しのびの緒をたち、兜に名香を薫じた木村重成もまた、わずかに二十四歳で戦死した。彼らは各自の境遇から、天寿をたもち、もしくは病気で死ぬことすらも恥辱なりとし・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
出典:青空文庫