・・・ 当時決死の士を糾合して北海の一隅に苦戦を戦い、北風競わずしてついに降参したるは是非なき次第なれども、脱走の諸士は最初より氏を首領としてこれを恃み、氏の為めに苦戦し氏の為めに戦死したるに、首領にして降参とあれば、たとい同意の者あるも、不・・・ 福沢諭吉 「瘠我慢の説」
・・・「おれはあした戦死するのだ。」大尉は呟やきながら、許嫁のいる杜の方にあたまを曲げました。 その昆布のような黒いなめらかな梢の中では、あの若い声のいい砲艦が、次から次といろいろな夢を見ているのでした。 烏の大尉とただ二人、ばたばた・・・ 宮沢賢治 「烏の北斗七星」
・・・その間へ、銃をとって絶対に戦わなければならないでもない作家、一面には社と社との激烈な競争によって刺戟され、一面には報道陣の戦死としての矜りから死を突破しようとさえする従軍記者でもない作家、謂わば、命を一つめぐってそれをすてるか守るかしようと・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・を書いて、日本にもしたしまれているキュリー夫人の二女エヴ・キュリーは、一九四三年に「戦士のあいだを旅して」という旅行記をニューヨークから出版した。それがさいきん「戦塵の旅」という題で、ソヴェト同盟旅行の部分だけ翻訳出版された。一九四一年十一・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・そのときの彼女たちは、断髪に日の丸はちまきをしめて、日本の誇る産業戦士であった――寮でしらみにくわれながらも。彼女たちの働く姿は新聞に映画にうつされた。あなたがたの双肩に日本の勝利はゆだねられています、第一線の花形です、というほめ言葉を、そ・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
・・・青年は戦死した。その娘は母となる。教会で結婚の儀式をあげる機会をもてずに、愛しあっていた男女が結合し、親となったということだけのために、若い母親は周囲の人たちのしつこい侮蔑と中傷とにさらされなければならなくなった。父である牧師は、自分の教会・・・ 宮本百合子 「傷だらけの足」
・・・ 事変以来、様々の勤労の場面に小学校の卒業生の求められている勢は殆どすさまじいばかりで、三月末の日曜日、東京の各駅には地方から先生に引率された「産業豆戦士」が、行李だの鞄だのを手に手に提げて、無言の裡に駭きの目を瞠りながら続々と到着して・・・ 宮本百合子 「国民学校への過程」
・・・大戦のときの無名戦士の記念碑には、煤でうすよごれた鳩たちの糞がかかっている。見上げるセント・ポールの正面の大石段の日向には上から下まで、失業した男たちがびっしりつまって、或るものは腰かけ或るものは横になり、あたりに散っている新聞の切れはしと・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・研究も、未踏であった先史の中に第一歩を印した古典として、読まるべき意義を失ってはいないのである。 一八六一年に書かれたこの『母権論』の功績は、著者バッハオーフェンが自身の神秘的な観念に制約されつつも、熱心にギリシア、ローマ等の古典文学を・・・ 宮本百合子 「先駆的な古典として」
・・・ もうここまで漕ぎ付ければ、後はひとりでに自分の懐に入って来るほかないいくらかの土地を思うと、優勝の戦士がやがて来る月桂冠を待つときのような心持にならざるを得なかった。 比類ない自分の精力と手腕をもってすれば、こんな相手を斃したこと・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
出典:青空文庫