・・・ どんなことが来ようと、自分は決して顔をそむけまいという意志は強かった。 先達のない山路を、どうにかして、一歩でも昇ろうとする努力は確かに勇ましかった。 けれども、その不断の力の緊張は、やがて驚くべき苦痛をもって現われて来たので・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・そして、皆の、賑やかな、笑い、喋る姿を見ると、ふと自分の心に、先達っての名が浮んで来た。私は、幹事をしていた人に、「先達ってのお葉書ね、私、深田さんという方が、どなただか、まるで分らないからあのままにしてしまったけれど。どなた?」と訊い・・・ 宮本百合子 「追想」
・・・ 坪内先生は非常に聰明な資質の先達者であった。正宗白鳥氏が先日、逍遙博士は文学の師であるばかりでなく生死に処する道を教えた方であるという感想を書いておられたが、私は坪内先生の一生をあるべきとこにあって完璧たらしめた先生の聰明、努力、達見・・・ 宮本百合子 「坪内先生について」
・・・と伯父さんに口伝して私は又家に戻って帰ったら翌日の晩、「先達ってはどうも……あした朝九時で立ちます。前の家で借りてるんですから……さようなら」 これだけを、あの人は細い金属を通して私に云ったきりで行ってしまった。 私とあの人・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・ ところで、一般に今日そういう気運が醸し出されているとして、そう云いそれを行う作家たちは、いかなロマンチストでも簡単に自己蝉脱は出来ないのであるから、或る意味ではやはり元の作家A・B・C氏であることは避け難い現実としなければならない。そ・・・ 宮本百合子 「文学の大衆化論について」
・・・その世界では彼らは皆私の先達であった。彼らは私の眼に、世界と人間とが尽くることなき享楽の対象であることの、具体的な証左であった。そのころの私には Sollen の重荷に苦しむ人が笑うべく怯懦に見えた。享楽に飽満しない人が恐ろしく貧弱に見えた・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫