・・・しかし、贅沢といえば、まことに蘭飯と称して、蘭の花をたき込んだ飯がある、禅家の鳳膸、これは、不老の薬と申しても可い。――御主人――これなら無事でしょう。まずこの辺までは芥川さんに話しても、白い頬を窪まし、口許に手を当てて頷いていましょうがね・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・寺田は素行不良の理由で免職になったことをまるで前科者になってしまったように考え、もはや社会に容れられぬ人間になった気持で、就職口を探しに行こうとはせず、頭から蒲団をかぶって毎日ごろんごろんしていた。夜、一代の柔い胸の円みに触れたり、子供のよ・・・ 織田作之助 「競馬」
・・・きけば前科八犯の博徒で入獄するたびに同房に思想犯が膝をかかえて鉛のように坐っていたのだ。 最近父親の投書には天皇制護持論が多い。 織田作之助 「実感」
・・・ 三十歳をすぎている小使は、過去に暗い経歴を持っている、そのために内地にはいられなくて、前科者の集る西伯利亜へやって来たような男だった。彼の表情にも、ものごしにも、暗い、何か純粋でないものが自ら現れていた。彼は、それを自覚していた。こう・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 実際、いかに絶大の権力を有し、百万の富を擁して、その衣食住はほとんど完全の域に達している人びとでも、またかの律僧や禅家などのごとく、その養生のためには常人の堪えるあたわざる克己・禁欲・苦行・努力の生活をなす人びとでも、病なくして死ぬの・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・ 実際如何に絶大の権力を有し、巨万の富を擁して、其衣食住は殆ど完全の域に達して居る人々でも、又た彼の律僧や禅家などの如く、其の養生の為めには常人の堪ゆる能わざる克己・禁欲・苦行・努力の生活を為す人々でも、病いなくして死ぬのは極めて尠いの・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・自分の醜態の前科を、恥じるどころか、幽かに誇ってさえいた。実に、破廉恥な、低能の時期であった。学校へもやはり、ほとんど出なかった。すべての努力を嫌い、のほほん顔でHを眺めて暮していた。馬鹿である。何も、しなかった。ずるずるまた、れいの仕事の・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・が、その人はよしなされ。前科者じゃぞ。前科九十八犯じゃぞ。」 清作が怒ってどなりました。「うそをつけ、前科者だと。おら正直だぞ。」 大王もごつごつの胸を張って怒りました。「なにを。証拠はちゃんとあるじゃ。また帳面にも載っとる・・・ 宮沢賢治 「かしわばやしの夜」
・・・「いまや夕べははるかにきたり、拙講もまた全課をおえた。諸君のうちの希望者は、けだしいつもの例により、そのノートをば拙者に示し、さらに数箇の試問を受けて、所属を決すべきである。」学生たちはわあと叫んで、みんなばたばたノートをとじました。そ・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・ その頃、前科五犯という女賊が入っていて、自分は栃木刑務所、市ケ谷刑務所の内の有様をいろいろ訊いた。栃木の前、その女は市ケ谷に雑役をやらされていて、同志丹野せつその他の前衛婦人を知っているのであった。 市ケ谷の刑事既決女囚は、昔・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫