・・・よごれの無い印半纏に、藤色の伊達巻をきちんと締め、手拭いを姉さん被りにして、紺の手甲に紺の脚絆、真新しい草鞋、刺子の肌着、どうにも、余りに完璧であった。芝居に出て来るような、頗る概念的な百姓風俗である。贋物に違いない。極めて悪質の押売りであ・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・へだてたる立葵の二株、おたがい、高い、高い、ときそって伸びて、伸びて、ひょろひょろ、いじけた花の二、三輪、あかき色の華美を誇りし昔わすれ顔、黒くしなびた花弁の皺もかなしく、「九天たかき神の園生、われは草鞋のままにてあがりこみ、たしかに神域犯・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・日の出以前のあの暁の気配は、決して爽快なものではない。おどろおどろ神々の怒りの太鼓の音が聞えて、朝日の光とまるっきり違う何の光か、ねばっこい小豆色の光が、樹々の梢を血なま臭く染める。陰惨、酸鼻の気配に近い。 鶴は、厠の窓から秋のドオウン・・・ 太宰治 「犯人」
・・・ 褐色の道路――砲車の轍や靴の跡や草鞋の跡が深く印したままに石のように乾いて固くなった路が前に長く通じている。こういう満州の道路にはかれはほとんど愛想をつかしてしまった。どこまで行ったらこの路はなくなるのか。どこまで行ったらこんな路は歩・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・最後の伯爵のガス排出の音からふざけ半分のホルンの一声が呼び出され、このラッパが鹿狩りのラッパに転換して爽快な狩り場のシーンに推移するのである。あばれ馬のあばれ方は愉快であるが、鹿の走り方は少しおかしい。あれは追わるる鹿ではない。モーリスが馬・・・ 寺田寅彦 「音楽的映画としての「ラヴ・ミ・トゥナイト」」
・・・それが電車の中で隣席に腰かけていて、そうして明晰に爽快なドイツ語でゆっくりゆっくり自分に分かるように話してくれるのである。その話が実に面白い。哲学の講義のようでもあり、また最も実用的な処世訓のようでもあり、どうかするとまた相対性理論や非ユー・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・そういう時に軒の雨垂れを聞きながら静かに浴槽に浸っている心持は、およそ他に比較するもののない閑寂で爽快なものである。そういう日が年のうちに一日あることもあり、ないこともあるような気がする。そうだとすると生命のあるうちにそういう稀有な日を出来・・・ 寺田寅彦 「五月の唯物観」
・・・何某講と染め抜いた揃いの手拭を冠った、盛装に草鞋ばきという珍しい出で立ちの婦人の賑やかに陽気な一群と同乗した。公園の入口にはダリアが美しく咲いて森閑とした園内を園丁が掃除していた。子供の時分によく熱病をわずらって、その度に函館産の氷で頭を冷・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・昔の武士の中の変人達が酷暑の時候にドテラを着込んで火鉢を囲んで寒い寒いと云ったという話があるが、暑中に烈火の前に立って油の煮えるのを見るのは実は案外に爽快なものである。 暑い時に風呂に行って背中から熱い湯を浴びると、やはり「涼しい」とか・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・そうして、この鉄片の軽く地面をたたくコツコツという音が、次第にそれほど不愉快でなく、それどころか、おしまいにはかえって一種の適度な爽快な刺激として、からだを引きしめ、歩調を整えさせる拍節の音のようにも感ぜられるようになって来た。 思うに・・・ 寺田寅彦 「試験管」
出典:青空文庫