・・・が万物に充満していると説くところは、やや汎神論的に見えるが、しかしそれをあくまでも天地の主宰者として取り扱うところに、佐渡守の狂信の対象であった阿弥陀仏や、キリシタンの説いていたデウスとの相似を思わせる。そういう点を考えると、この書が佐渡守・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・楓の樹が数十本もあると、その下に一、二寸に積もっているもみじの落葉を掃除するのはなかなかの骨折りであった。もみじの落葉を焚いて酒を暖めるというのが昔からの風流であるが、この落葉で風呂を沸かしたらどんなものであろうと思って、大きい背負い籠に何・・・ 和辻哲郎 「京の四季」
・・・そこにはただ修道と鍛練との精進生活があったばかりではない。むしろあらゆる学問、美術、教養などがその主要な内容となっていた。あたかも大学と劇場と美術学校と美術館と音楽学校と音楽堂と図書館と修道院とを打って一丸としたような、あらゆる種類の精神的・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・それゆえ、私は精進する。 このような努力においてもキェルケゴオルは私のきわめて近い友であり、また師であった。 私はこの書において、できるだけキェルケゴオルを活かそうと努めたが、それがどのくらいに成功しているかは自分にはわからない。私・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫