・・・――清水谷の奥まで掃除が届く。――梅雨の頃は、闇黒に月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花も、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車の轍の下には生えまいから、いまは車前草さえ直ぐには見ようたって間に合わ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・もうずッと精進で。……さて、あれほどの竹の、竹の子はどんなだろう。食べたら古今の珍味だろう、というような話から、修善寺の奥の院の山の独活、これは字も似たり、独鈷うどと称えて形も似ている、仙家の美膳、秋はまた自然薯、いずれも今時の若がえり法な・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・お魚はほんのつけたりで、おもに精進ものの取引をするんですよ。そういっては、十貫十ウの、いまの親仁に叱られるかも知れないけれど、皆が蓮根市場というくらいなんですわ。」「成程、大きに。――しかもその実、お前さんと……むかしの蓮池を見に、寄道・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・しかし私は坊さんでも、精進でも、何でもありません。望んでも結構なんだけれど、見たまえ。――窓の外は雨と、もみじで、霧が山を織っている。峰の中には、雪を頂いて、雲を貫いて聳えたのが見えるんです。――どんな拍子かで、ひょいと立ちでもした時口が血・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・なくなられたその日までも庭の掃除はしたという老父がいなくなってまだ十月にもならないのに、もうこのとおり家のまわりが汚なくなったかしらなどと、考えながら、予も庭へまわる。「まあ出しぬけに、どこかへでも来たのかい。まあどうしようか、すま・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・ 人間に対する用意は、まず畳を上げて、襖障子諸財一切の始末を、先年大水の標準によって、処理し終った。並の席より尺余床を高くして置いた一室と離屋の茶室の一間とに、家族十人の者は二分して寝に就く事になった。幼ないもの共は茶室へ寝るのを非常に・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・予は未だ欧洲人に知人もなく、従て彼等の食卓に列した経験もないので其真相を知り居らぬが、種々な方面より知り得たる処では、吾国の茶の湯と其精神酷だ相似たるを発見するのである、それはさもあるべき事であろう、何ぜなれば同じ食事のことであるから其興味・・・ 伊藤左千夫 「茶の湯の手帳」
・・・誰にも彼にも非常人的精進行為を続けて行けと望むは無理である。子を作り、財を貯え、安逸なる一町民となるも、また人生の理想であると見られぬことはない。普通な人間の親父なる彼が境涯を哀れに思うなどは、出過ぎた料簡じゃあるまいか。まずまず寝ることだ・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・ 僕の考え込んだ心は急に律僧のごとく精進癖にとじ込められて、甘い、楽しい、愉快だなどというあかるい方面から、全く遮断されたようであった。 ふと、気がつくと、まだ日が暮れていない。三人は遠慮もなくむしゃむしゃやっている。僕は、また、猪・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・敷石の道やら、瓢箪なりの――この形は、西洋人なら、何かに似ていると言って、婦人の前には口にさえ出さぬという――池やら、低い松や柳の枝ぶりを造って刈り込んであるのやら例の箱庭式はこせついて厭なものだが、掃除のよく行き届いていたのは、これも気持・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
出典:青空文庫