・・・ところが私の精進はまたあべこべで世間と現実とを知っていくところにあった。そして『恥以上』という戯曲にまでそれが発展したのだ。これは私のエレメントである同じ宗教的情操の、世間にもまれた後の変容であって、私は『出家とその弟子』よりも進んでいると・・・ 倉田百三 「『出家とその弟子』の追憶」
・・・ 杜氏は、醸造場へ来ると事務所へ与助を呼んで、障子を閉め切って、外へ話がもれないように小声で主人の旨を伝えた。 お正月に、餅につけて食う砂糖だけはあると思って、帆前垂にくるんだザラメを、小麦俵を積重ねた間にかくして、与助は一と息・・・ 黒島伝治 「砂糖泥棒」
・・・荷車で餌を買いに行ったり、小屋の掃除をしたり、交尾期が来ると、掛け合わして仔豚を作ることを考えたり、毎日、そんなことで日を暮した。おかげで彼の身体にまで豚の臭いがしみこんだ。風呂でいくら洗っても、その変な臭気は皮膚から抜けきらなかった。・・・ 黒島伝治 「豚群」
・・・家の中の方が学校よりも都て厳格で、山本町に居る間は土蔵位はあったでしたが下女などは置いて無かったのに、家中揃いも揃って奇麗好きであったから晩方になると我日課の外に拭掃除を毎日々々させられました。これに就いて可笑しい話は、柄が三尺もある大きい・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・室は紙障子引きたてしのみにて雨戸ひくということもせず戸の後鎖することもせざる、さすがに御神の御稜威ありがたしと心に浸みて嬉しくおぼえ、胸の海浪おだやかに夢の湊に入る。 九日、朝四時というに起き出でて手あらい口そそぎ、高き杉の樹梢などは見・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・新しい水を貰って、使った水を捨てゝもらい、便器を廊下に出して掃除をしてもらう。 それが済むと、後は自由な時間になる。小さい固い机の上で本を読む。壁に「ラジオ体操」の図解が貼りつけてあるので、体操も出来る。 独房の入口の左上に、簡単な・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・彼は入口まで行った。障子にはめてある硝子には半紙が貼ってあって、ハッキリ中は見えなかったが、女はいなかった。龍介は入口の硝子戸によりかかりながら、家の中へちょっと口笛を吹いてみた。が、出てこない。その時、龍介はフト上りはなに新しい爪皮のかか・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・南と北とを小高い石垣にふさがれた位置にある今の住居では湿気の多い窪地にでも住んでいるようで、雨でも来る日には茶の間の障子はことに暗かった。「ここの家には飽きちゃった。」 と言い出すのは三郎だ。「とうさん、僕と三ちゃんと二人で行っ・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「冬でも暗いうちから起きて、自分の部屋を掃除するやら、障子をばたばた言わせるやら。そんなに早く起きられては若いものが堪らんなんて、よく家の人に言われる。わたしは隣りの部屋でも、知らん顔をして寝ているわいなし――ええええ、知らん顔をして」・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・しかし抽斗は今朝初やに掃除をさせて、行李から出した物を自分で納めたのである。袖はそれより後に誰かが入れたものだ。そしてこの袖は藤さんのに相違はない。小母さんや初やや、そんな二三十年前の若い女に今ごろこんな花やかな物があるはずがない。はたして・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
出典:青空文庫