・・・右手より曹長先頭にて兵士一、二、三、四、五、登場、一列四壁に沿いて行進。曹長「一時半なのにどうしたのだろう。バナナン大将はまだやってこない胃時計はもう十時なのにバナナン大将は帰らない。」正面壁・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・でないと山ねこさまにえらい責苦にあわされますぞい。おお恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」 狼はおびえあがって、きょろきょろしながらたずねました。「そんならどうしたら助かりますかな。」 狸が云いました。「わしは山ねこさまのお身代・・・ 宮沢賢治 「蜘蛛となめくじと狸」
・・・一太の家は、千住から小菅の方へ行く街道沿いで、繩暖簾の飯屋の横丁を入った処にあった。その横丁は雨っぷりのとき、番傘を真直さしては入れない程狭かった。奥に、トタン屋根の長屋が五棟並んでいて一太のは三列目の一番端れであった。どの家だってごく狭い・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・坂をのぼり切ると一本はそのまま真直に肴町へ、右は林町へ折れ、左の一本は細くくねって昔太田ケ原と呼ばれた崖沿いに根津権現に出る。その道が、団子坂から折れて入ったばかりの片側は柵の結ばれた崖で、土どめをうった段々が、崖下へ向ってつけられていた。・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・誰の頭の中にも斯うした思は満ちて居た、人達は時々のぞく様にその着物のはじをのぞいて、して置いたまんま一寸も動いて居ないのを見ては小さな溜息をつきながら安心して居た。テカテカテカテカ……処女がうす青い唇をふるわせる音の様に思われた。フラフラゆ・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・上海などへ連絡する船宿の並んだ通りをぬけ、港沿いに俥が駛る。昼ごろの故か、往来は至って閑散だ。左側に古風な建物の領事館などある。或角を曲った。支那両替屋の招牌が幌を掠めた。首をこごめて往来をのぞくと、右手に畳を縫って居る職人、向側の塵埃っぽ・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 終点から、細い川沿いに、車掌の教えてくれた通り進んだが、程なく二股道に出た。一方は流れに架った橋を越して、小高い丘の裾を廻る道、一方は真直畑を通る道。何しろ烈しい風の吹きようだ。真正面から吹きまくられて進むことは、二人とも寸時も早く免・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・ この二つの入口だけであと天窓ほかない此家の内部は屋外からのぞいた明るい眼では、なかなか見られないほど暗く陰気である。 野菜の「すえ」た臭いと、屋根の梁の鶏の巣から来る臭いが入りまじって気味悪く鼻をつく。 暗さになれてよく見ると・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・旧い親子の義理がH家の人々と後ぞいの老婦人との間にないとして、嫁であるA子さんにだけその義理を強いるのは間違いです。 待たずに結婚するように打開されるべきです。 二 あなたが、お兄さんからすすめられた方・・・ 宮本百合子 「三つのばあい・未亡人はどう生きたらいいか」
出典:青空文庫