・・・ 滞欧中の夏はついに暑さというものを覚えなかったが、アメリカへ渡っていわゆる「熱波」の現象を体験することを得た。五月初旬であったかと思う。ニューヨークの宿へ荷物をあずけて冬服のままでワシントンへ出かけた時には春のような気候であった。華府・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ これと同様なことは歌仙の他の部分と楽曲のこれに対応する部分についてもある度までは言われるように思う。 このような、かりに「和声的要素」とでも名づくべきものは、普通の詩歌の中にでもしいて求むればある程度までは求められないことはないか・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・ 判断と生きる方向とを文学的に求めてゆかず、浮世の荒波への市民的対応の同一平面において、その意味で「結婚の生態」は、今日の現実では作家が、文学をてだてとしてどんなに常識的日常性を堅めてゆくかという興味ある一典型をなしているのである。・・・ 宮本百合子 「今日の読者の性格」
・・・そして、男が兵役につくのを当然とされているように女の職業経験がそれに対応するものとして見られるようになるかもしれない。社会的成員の条件の一つのように見られるのかもしれない。そして、それはそれでいいのだと思う。 けれども、常識というものが・・・ 宮本百合子 「働く婦人の新しい年」
・・・その急激な変化に対応して、国民の一人一人、たとえば自分や、ああやって石臼を引いている清吉が、直ちに筋の立った何事かを発言することが出来るだろうか。表現したい様々の事象があった。そのときは絶対に表現が許されなかった。その状態のうちに日日夜々は・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
・・・だからここに茸の価値と言われるものは、この自己没入的な探求の体験の相続と繰り返しにほかならぬのであって、価値感という作用に対応する本質というごときものではない。茸の価値は茸の有り方であり、その有り方は茸を見いだす我々人間の存在の仕方にもとづ・・・ 和辻哲郎 「茸狩り」
出典:青空文庫