・・・ もちろん、身辺小説も困難なことにおいてはそう違わないと思うが、人それぞれの性質によって困難の対象は違うものとしなければならぬなら、私にとっての困難はやはり身辺小説だとは思えないので、こつこつやっているうちに幾らかはなろうと思っている。・・・ 横光利一 「作家の生活」
・・・何ぜならこれは、今迄用い適用されていた感覚が、その触発対象を客観的形式からより主観的形式へと変更させて来たからに他ならない。だが、そこに横たわった変化について、理論的形式をとってより明確な妥当性を与えなければならないとなると、これは少なから・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ ある時私は友人と話している内に、だんだん他の人の悪口を言い出した事がありました。対象になったのは道徳的の無知無反省と教養の欠乏とのために、自分のしている恐ろしい悪事に気づかない人でした。彼は自分の手である人間を腐敗させておきながら、自・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
一 私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。対象はたいていこれまで知り抜いたつもりでいた古なじみのことに過ぎない。しかしそれが突然新しい姿になって、活き活きと私に迫って来る。私は時にいくらかの誇張をもって、・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
・・・湯の青色と女の体、女の体と髪の黒色、あるいは処々に散らばる赤、窓外の緑と檜の色、などの対照も、きわめて快い調和を見せている。濃淡の具合も申しぶんがない。――しかし難を言えば、どうも湯の色が冷たい。透明を示すため横線を並べた湯の描き方も、滑ら・・・ 和辻哲郎 「院展遠望」
・・・小林氏が写生を試みて写実にならなかったのとは著しい対照である。また小林氏ができ得るだけ静かな淡い調子を出しているに反して、この画はでき得るだけ強い烈しい調子を出している。もし手法の剛健を喜ぶならば、この画は新しい日本画として相当の満足を与え・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・にある「我国をほろぼし我家をやぶる大将」の四類型をあげてみよう。 第一は、ばかなる大将、鈍過ぎたる大将である。ここでばかというのは智能が足りないということではない。才能すぐれ、意志強く、武芸も人にまさっている、というような人でも、ばかな・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・私利を先にして、天下万民に各々そのこころざしを遂げしむる努力を閑却するごときものは、大詔に違背せる非国民である。しかもこの徒が政治を行なうとすれば、「君側に奸あり」と言わざるを得ぬ。こういうのが父の考えであった。だから原敬を暗殺した中岡良一・・・ 和辻哲郎 「蝸牛の角」
・・・その愛が酪駝の隊商にも向かえば、梅蘭芳にも向かい、陶器にも向かえば、仏像にも向かう。特に色彩と輪郭と音響とは、彼から敏感な注意をうける。この心の自由さと享楽の力の豊かさとが、『地下一尺集』の諸篇をして、一種独特な、美しい製作たらしめるのであ・・・ 和辻哲郎 「享楽人」
・・・丹と白との清らかな対照は重々しい屋根の色の下で、その「力の諧調」にからみつく。その間にはなお斗拱や勾欄の細やかな力の錯綜と調和とが、交響の大きい波のうねりの間の濃淡の多いささやかなメロディーのように、人の心のすみずみまでも響きわたるのである・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
出典:青空文庫