・・・ *船はいま黒い煙を青森の方へ長くひいて下北半島と津軽半島の間を通って海峡へ出るところだ。みんなは校歌をうたっている。けむりの影は波にうつって黒い鏡のようだ。津軽半島の方はまるで学校にある広重の絵のようだ。山の谷が・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・女はどうも髪が長くて、智慧が短いと辛辣めかして云うならば、その言葉は、社会の封建性という壁に反響して、忽ち男は智慧が短かく、髪さえ短かい、と木魂して来る性質のものであると、民主社会では諒解されているのである。 本誌の、この号には食糧問題・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・「飯炊くとき、おねばりとってやんな」 その次の日又重湯を運んでやり、歩けるようになる迄、粥をやるのがいしの任務であった。仙二は、苦笑しながら半分冗談、半分本気で云った。「あげえ業の深けえ婆、世話でも仕ずに死なしたら、忘れっこねえ・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・薪を集めることから焚くことから、子供の世話をすることでも何でも、みな女の人が自分の体で解決しなければいけません。ところがアメリカのような国になると、電気とかいろいろな社会設備が発達しているから、家事的な労働の大部分は公共的な簡便さで解決され・・・ 宮本百合子 「幸福の建設」
・・・というなら同じ卑俗さにしろわかりもするが、その現実はふせて、炭の空俵一俵でどれだけ米を炊くことが出来るかというようなところから、物の不足は感謝のみなもとという風な、道義化された説がなされていることは、二重の恥辱であると思った。 科学につ・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・ 翌日は、夜が大変更けた故か孝ちゃんの一家の眼を覚ましたのはもう九時近くであったので、学校の始業時間よりおくれて起きた女中が炊く御飯をたべて間に合う筈がない。「困っちゃったなあ、 僕やだなあどうしよう。 おいお前何故早く・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・ 朝でもふて寝をしたり、食事の用意もしないまんま、どこへか喋りに行ってしまったりするので、心のうちではそんなに母親を怒らせた父親を怨みながら、まだやっと十一のさだが危うげに飯などを炊く。 暗い、年中ジクジクしている流し元に、鍋などを・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・その中にも百姓の強壮な肺の臓から発する哄然たる笑声がおりおり高く起こるかと思うとおりおりまた、とある家の垣根に固く繋いである牝牛の長く呼ばわる声が別段に高く聞こえる。廐の臭いや牛乳の臭いや、枯れ草の臭い、及び汗の臭いが相和して、百姓に特有な・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 書いたら長くなったが、これは一秒時間の事である。 隣の間では、本能的掃除の音が歇んで、唐紙が開いた。膳が出た。 木村は根芋の這入っている味噌汁で朝飯を食った。 食ってしまって、茶を一杯飲むと、背中に汗がにじむ。やはり夏は夏・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・役人は極優しい声でこう云った。長く浄火の中にいたものには、詞遣を丁寧にすることになっているのである。 ツァウォツキイは翌日申立をした。 役人が紙切をくれた。それに「二十四時間賜暇」と書いてあった。 それから押丁がツァツォツキイを・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫