・・・ 最後にこの天理の自然、生命の法則という視点から、最初に立ちかえって、夫婦生活というものには無理が含まれていることも、英知をもって認めておかなくてはならぬ。この無理をどう扱うかということが生活のひとつの知恵である。 性の欲求、恋愛は・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・ 将校は、大刀のあびせようがなかった。将校は老人の手や顔に包丁で切ったような小さい傷をつけるのがいやになった。大刀の斬れあじをためすためにやってみたのだ。だが、そいつがあまりに斬れなかった。「えゝい、仕様がない。このまゝ埋めてしまえ・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 栗本は銃を杖にして立ち上った。 兵士達は、靴を引きずりながら、草の上を進んだ。彼等は湿って水のある方へ出て行った。草は腰の帯革をかくすくらいに長く伸び茂っていた。「見えるぞ、見えるぞ!」 右の踏みならされた細道を進んでいる・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・いわんやまた趣味には高下もあり優劣もあるから、優越の地に立ちたいという優勝慾も無論手伝うことであって、ここに茶事という孤独的でない会合的の興味ある事が存するにおいては、誰か茶讌を好まぬものがあろう。そしてまた誰か他人の所有に優るところの面白・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・それらの者はこの六月の末という暑気に重い甲冑を着て、矢叫、太刀音、陣鐘、太鼓の修羅の衢に汗を流し血を流して、追いつ返しつしているのであった。政元はそれらの上に念を馳せるでもない、ただもう行法が楽しいのである。碁を打つ者は五目勝った十目勝った・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・出口にちょっと立ち止まって、手袋をはきながら、龍介は自分が火の気のない二階で「つくねん」と本を読むことをフト思った。彼はまるで、一つの端から他の端へ一直線に線を引くように、自家へ帰ることがばかばかしくなった。彼は歩きだしながら、どうするかと・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・解釈もほぼ定まり同伴の男が隣座敷へ出ている小春を幸いなり貰ってくれとの命令畏まると立つ女と入れかわりて今日は黒出の着服にひとしお器量優りのする小春があなたよくと末半分は消えて行く片靨俊雄はぞッと可愛げ立ちてそれから二度三度と馴染めば馴染むほ・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・そこは地方から上京するなじみの客をおもに相手としているような家で、入れかわり立ちかわり滞在する客も多い中に、子供を連れながら宿屋ずまいする私のようなものもめずらしいと言われた。 外国の旅の経験から、私も簡単な下宿生活に慣れて来た。それを・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その様子が自分の前を歩いているものを跡からこづいて、立ち留らせて、振返えらせようとするようである。 しかし誰もこの老人に構っているものはない。誰も誰も自分の事を考えている。自分の不平を噛み潰しているのである。みな頭と肩との上に重荷を載せ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・王女は、「それでは明日一しょに立ちましょう。しかし、とにかく、あちらへいって御飯をたべましょう。」と言いました。ウイリイは、王女の後について立派な大きな広間へとおりました。そこには、ちゃんといろんな御ちそうのお皿がならんでいました。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫