・・・六本木の停留所の灯が二人の前へさして来て、その下に塊っている二三の人影の中へ二人は立つと、電車が間もなく坂を昇って来た。 秋風がたって九月ちかくなったころ、高田が梶の所へ来た。栖方の学位論文通過の祝賀会を明日催したいから、梶に是非出・・・ 横光利一 「微笑」
・・・秋の風が立つと、燕や、蝶や、散った花や、落ちた葉と一しょに、そんな生活は吹きまくられてしまう。そして別荘の窓を、外から冬の夜の闇が覗く。人に見棄てられた家と、葉の落ち尽した木立のある、広い庭とへ、沈黙が抜足をして尋ねて来る。その時エルリング・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・それだから向うへ着いて幾日かの間は面倒な事もあろうし、気の立つような事もあろうし、面白くないことだろうと、気苦労に思っている。そのくせ弟の身の上は、心から可哀相でならない。しかしまたしては、「やっぱりそうなった方が、あいつのためには為合せか・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・言い訳が立つからといって、なすべき事をしないのはやはりいい事ではありません。たとえ仕事に全精力を集中する時でも「人」としてふるまうことを忘れてはならない。それができないのは弱いからです。愛が足りないからです。 私は自分の仕事のために愛す・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
出典:青空文庫