・・・兄の家では、大阪から見舞いに来ていた、××会社の重役である嫂の弟が、これも昨日山からおりて、今日帰るはずで立つ支度をしていた。「ここもなかなか暑いね」道太は手廻りの小物のはいっているバスケットを辰之助にもってもらい、自分は革の袋を提げて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・人間が懺悔して赤裸々として立つ時、社会が旧習をかなぐり落して天地間に素裸で立つ時、その雄大光明な心地は実に何ともいえぬのである。明治初年の日本は実にこの初々しい解脱の時代で、着ぶくれていた着物を一枚剥ねぬぎ、二枚剥ねぬぎ、しだいに裸になって・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ ある夕方、深水がきて、高島が福岡へ発つから、今夜送別会をやるといいにきて、「ときに、例の方はどうしたい?」 と訊いたとき、三吉は、「おれ、病気なんだ」 と答えたきりだった。けげんな顔をしている相手にいくら説明したところ・・・ 徳永直 「白い道」
・・・五六人の女婢手を束ねて、ぼんやり客俟の誰彼時、たちまちガラ/\ツとひきこみしは、たしかに二人乗の人力車、根津の廓からの流丸ならずば権君御持参の高帽子、と女中はてん/″\に浮立つゝ、貯蓄のイラツシヤイを惜気もなく異韻一斉さらけだして、急ぎいで・・・ 永井荷風 「上野」
・・・世の文学雑誌を見るも遊里を描いた小説にして、当年の傑作に匹疇すべきものは全くその跡を断つに至った。 遊里の光景と風俗とは、明治四十二、三年以後にあっては最早やその時代の作家をして創作の感興を催さしむるには適しなくなったのである。何が故に・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・当時凌雲閣の近処には依然としてそういう小家がなお数知れず残っていたが、震災の火に焼かれてその跡を絶つに及び、ここに玉の井の名が俄に言囃されるようになった。 女車掌が突然、「次は局前、郵便局前。」というのに驚いて、あたりを見ると、右に灰色・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
・・・わたくしはこの湫路の傍に芭蕉庵の址は神社となって保存せられ、柾木稲荷の祠はその筋向いに新しい石の華表をそびやかしているのを見て、東京の生活はいかにいそがしくなっても、まだまだ伝統的な好事家の跡を絶つまでには至らないのかと、むしろ意外な思いを・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・丁度焼跡の荒地に建つ仮小屋の間を彷徨うような、明治の都市の一隅において、われわれがただ僅か、壮麗なる過去の面影に接し得るのは、この霊廟、この廃址ばかりではないか。 過去を重んぜよ。過去は常に未来を生む神秘の泉である。迷える現在の道を照す・・・ 永井荷風 「霊廟」
・・・懐から出すとぶるぶると体を振るようにしてあぶなげに立つ。悲しげな目で人を見た。目が涙で湿おうて居た。雀の毛をったように痩せて小さかった。お石は可哀想だから救って来たのだといった。太十は独で笑いながら懐へ入れて見ると矢張りくるりとなって寝た。・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・暫く経つと赤はすっと後足で蕎麦の花の中から立つ。そうして文造を見つけていきなりばらばらと駈けて来る。鼻先は土で汚れて居る。赤は恐ろしい威勢のいい犬であった。そうして十分に成長した。夜はよく足音を聞きつけて吠えた。昼間でも彼の目には胡乱なもの・・・ 長塚節 「太十と其犬」
出典:青空文庫