・・・ けれども芳子さんは、どんな辛い時でも、自分の正しいと思う親切は、仮令政子さんが其を悦んでも悦ばないでも、行って居りました。 親切は、ひとに褒められる為にする事でもなく、お礼を云って貰う為めにする事でもございません。 よい事は、・・・ 宮本百合子 「いとこ同志」
・・・ 立役は一人の背に負わされていても、何かの必要から一旦舞台へ立ったら、仮令椅子の足になっても、心をすっぽかしていてはなるまい。綜合的な舞台の芸術を真個に生かすには、只一本無駄な花があってさえ全体の気分に関係する。濫な作者の道楽気は反省さ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・そして、現在一年余の結婚生活の経験に於て、其は仮令非常に短時間ではあっても、最初の自分の考えは、全然間違って居たものではない事を認めて来た。 人は、自分の裡に未だ顕われずに潜む多くの力の総てを出し切る機会を持たなければ、其等力の実値を体・・・ 宮本百合子 「黄銅時代の為」
・・・文芸欄に、縦令個人の署名はしてあっても、何のことわりがきもなしに載せてある説は、政治上の社説と同じようなもので、社の芸術観が出ているものと見て好かろう。そこで木村の書くものにも情調がない、木村の選択に与っている雑誌の作品にも情調がないと云う・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・予の居る所の地は、縦令予が同情を九州に寄することがいかに深からんも、西僻の陬邑には違あるまい。予は僅に二三の京阪の新聞紙を読んで、国の中枢の崇重しもてはやす所の文章の何人の手に成るかを窺い知るに過ぎぬので、譬えば簾を隔てて美人を見るが如くで・・・ 森鴎外 「鴎外漁史とは誰ぞ」
・・・宇平を始、細川家から暇を取って帰っていた姉のりよが喜は譬えようがない。沈着で口数をきかぬ、筋骨逞しい叔父を見たばかりで、姉も弟も安堵の思をしたのである。「まだこっちではお許は出んかい」と、九郎右衛門は宇平に問うた。「はい。まだなんの・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・いつか私は西洋にある詞で、日本に無い詞がある、随ってそういう概念があちらにあって、こちらに無いと云うような事を話した事がありました。縦令両方にその詞はあってもそれが向うでは日常使われているのに、こちらでは使われていないという関係もあるのです・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・此の資本主義の存在している限り、それは仮令、排撃せらるべき文学であるとしても、新しき資本主義文学の発生するのも、また当然でなければならぬ。 しかし、もしそうして資本主義文学が新しく発生したとしても、彼らは唯物論的な観察精神をもった新感覚・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・既に決定せられたがように、譬えこの頂きに療院が許されたとしても、それは同時に尽くの麓の心臓が恐怖を忘れた故ではなかった。 間もなく、これらの腐敗した肺臓を恐れる心臓は、頂の花園を苦しめ出した。彼らは花園に接近した地点を撰ぶと、その腐敗し・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・この関係を最も適切に言い現わすため、私はかつて創作の心理を姙娠と産出とに喩えたことがある。実際生命によって姙まれたもののみが生きて産まれるのである。我々は創作に際して手細工に土人形をこさえるような自由を持っていない。我々はむしろ姙まれたもの・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
出典:青空文庫