・・・彼は都会の人の知らない蜂の子のようなものを好んで食ったばかりでなく、田圃側に葉を垂れている「すいこぎ」、虎杖、それから「すい葉」という木の葉で食べられるのを生でムシャムシャ食ったことを思出した。 高瀬の胸に眠っていた少年時代の記憶はそれ・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・白楊は、垂れかかっている白雲の方へ、長く黒く伸びている。その道を河に沿うて、河の方へ向いて七人の男がゆっくり歩いている。男等の位置と白楊の位置とが変るので、その男等が歩いているという事がやっと知れるのである。七人とも上着の扣鈕をみな掛けて、・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・藁でたばねた髪の解れは、かき上げてもすぐまた顔に垂れ下る。 座敷へ上っても、誰も出てくるものがないから勢がない。廊下へ出て、のこのこ離れの方へ行ってみる。麓の家で方々に白木綿を織るのが轡虫が鳴くように聞える。廊下には草花の床が女帯ほどの・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・「偉大なめぐみ深い神様、私どもにあわれみを垂れさせたまえ」 とおかあさんは道のわきに行って、草むらと草むらとの間の沼の中へ身を伏せて心の底からいのりました。 その時ひびきを立てて、海から大風が来て森の中をふきぬけました。この大き・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・博士は、よれよれの浴衣に、帯を胸高にしめ、そうして帯の結び目を長くうしろに、垂れさげて、まるで鼠の尻尾のよう、いかにもお気の毒の風采でございます。それに博士は、ひどい汗かきなのに、今夜は、ハンカチを忘れて出て来たので、いっそう惨めなことにな・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・歎くように垂れた木々の梢は、もう黄金色に色づいている。傾く夕日の空から、淋しい風が吹き渡ると、落葉が、美しい美しい涙のようにふり注ぐ。 私は、森の中を縫う、荒れ果てた小径を、あてもなく彷徨い歩く。私と並んで、マリアナ・ミハイロウナが歩い・・・ 寺田寅彦 「秋の歌」
・・・岸から綸を垂れている男もあった。道太はことに無智であった自分を懐いだした。崖の上には裏口の門があったり、塀が続いたりして、いい屋敷の庭木がずっと頭の上へ枝を伸ばしていた。昔から持ち続いた港の富豪の妾宅なぞがそこにあった。「あれはどうした・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・半ば朽ちた其幹は黒い洞穴にうがたれ、枯れた数条の枝の悲しげに垂れ下った有様。それを見ただけでも、私は云われぬ気味悪さに打たれて、埋めたくも埋められぬと云う深い深い井戸の底を覗いて見ようなぞとは、思いも寄らぬ事であった。 敢て私のみではな・・・ 永井荷風 「狐」
・・・げた裾から赤いゆもじを垂れてみんな高足駄を穿いて居る。足袋は有繋に白い。荷物が図抜けて大きい時は一口に瞽女の荷物のようだといわれて居る其紺の大風呂敷を胸に結んで居る。大きな荷物は彼等が必ず携帯する自分の敷蒲団と枕とである。此も紺の袋へ入れた・・・ 長塚節 「太十と其犬」
・・・その上には鉛色の空が一面に胃病やみのように不精無精に垂れかかっているのみである。余は首を縮めて窓より中へ引き込めた。案内者はまだ何年何月何日の続きを朗らかに読誦している。 カーライルまた云う倫敦の方を見れば眼に入るものはウェストミンスタ・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫