・・・全被告、声を合せ、涙を垂れて、開扉を頼んだが、看守はいつも頻繁に巡るのに、今は更に姿を見せない。私は扉に打つかった。私はまた体を一つのハンマーの如くにして、隣房との境の板壁に打つかった。私は死にたくなかったのだ。死ぬのなら、重たい屋根に押し・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・さて露した腕を、それまでぶらりと垂れていた片袖に通して、一方の導管に腰を掛けた。そして隠しからパンを一切と、腸詰を一塊と、古い薬瓶に入れた葡萄酒とを取出して、晩食をしはじめた。 この時自分のいる所から余り遠くない所に、鈍い、鼾のような声・・・ 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・さア、其奴の垂れてるのを一寸瞥見しただけなんだが、私は胸がむかついて来た。形容詞じゃなく、真実に何か吐出しそうになった。だから急いで顔を背けて、足早に通り抜け、漸と小間物屋の開店だけは免れたが、このくらいにも神経的になっていた。思想が狂って・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・姿も心も変り果てて、渦巻いていた美しい髪の毛が死んだもののように垂れている化物にして、それを僕に授けたのだ。それまでは、何処やら君の虚偽を感じてはいてもはっきり君を憎むという心もなかったが、その時から僕は君を憎み始めて、君から遠ざかるように・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・一つは丸い小い葉で、一つは万年青のような広い長い葉で、今一つは蘭のような狭い長い葉が垂れて居る。ようよう床屋の前まで来たのであった。また曲った道をいくつも曲って、とうとう内へ帰りついて蒲団の上へ這い上った。燈炉を燃やして室は煖めてある。湯婆・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・ アラムハラドは長い白い着物を着て学者のしるしの垂れ布のついた帽子をかぶり低い椅子に腰掛け右手には長い鞭をもち左手には本を支えながらゆっくりと教えて行くのでした。 そして空気のしめりの丁度いい日またむずかしい諳誦でひどくつかれた次の・・・ 宮沢賢治 「学者アラムハラドの見た着物」
・・・柳の葉の垂れた池の畔で、ボートに横えられている濡れ鼠の姉を抱きしめて驚愕と安心とで泣きながらババはたずねる。「イレーネ、死ななかってよかったと思う?」やっと正気に戻ったイレーネは辛うじてききとれる声で「恥しいわ」と答える。そして、「このこと・・・ 宮本百合子 「雨の昼」
・・・そして頭を前の方に垂れて市場の方へと往ってしまった。リュウマチスのために身体をまるで二重にして。 見るがうちにかれは群集のうちに没してしまった。群集は今しも売買に上気て大騒ぎをやっている。牝牛を買いたく思う百姓は去って見たり来て見たり、・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・ 戸は開け放して、竹簾が垂れてある。お為着せの白服を着た給仕の側を通って、自分の机の処へ行く。先きへ出ているものも、まだ為事には掛からずに、扇などを使っている。「お早う」位を交換するのもある。黙って頤で会釈するのもある。どの顔も蒼ざめた・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・背後には小さい帷が垂れてある。 ツァウォツキイはすぐに女房を見附けた。それから戸口の戸を叩いた。 戸が開いて、閾の上に小さい娘が出た。年は十六ぐらいである。 ツォウォツキイにはそれが自分の娘だということがすぐ分かった。「なん・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
出典:青空文庫