・・・ 太郎はこの頃、自分をアーボチャンと云い、いろいろの単語を喋り、なかなか可愛くよく発育しています。今度お目にかけます。大きいということが云えず、アッコオバチャンと云い、コの音の出しようをクの間のように喉音で出します。 今年のうちに青・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・「道具という単語をしらべたるところ、仏道修業の用具、人の手足に纏い、又は手にて使用する補助具、他のために利用せらるゝ人。もしくは陰茎、とあり。遺憾ながら予の顔面に該当品を発見せず」 あきらかに、いまの日本に横行している、笑わされたあとで・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・メーデーには棍棒隊をくり出させて、端午は日本の男の節句と他方を向いて色刷写真を輸出させる日本の権力を恥多いものと感じない労働者があるだろうか。ことしの三月八日こそは、日本の人民にとって特別意義がふかい。日本と世界の平和確保のための全面講和を・・・ 宮本百合子 「婦人デーとひな祭」
・・・そういう、日本の面と、能や端午の節句や桜花爛漫を撮影している国際文化振興会などの、日本紹介映画との間に、どういう血が通っているか。否、普通日本人と呼ばれている多数のものの平凡で苦労の多い実生活の裡にこの二面はどんな形で、どんな有機性で渾然と・・・ 宮本百合子 「「迷いの末は」」
・・・本庄は丹後国の者で、流浪していたのを三斎公の部屋附き本庄久右衛門が召使っていた。仲津で狼藉者を取り押さえて、五人扶持十五石の切米取りにせられた。本庄を名のったのもそのときからである。四月二十六日に切腹した。伊藤は奥納戸役を勤めた切米取りであ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・例年簷に葺く端午の菖蒲も摘まず、ましてや初幟の祝をする子のある家も、その子の生まれたことを忘れたようにして、静まり返っている。 殉死にはいつどうしてきまったともなく、自然に掟が出来ている。どれほど殿様を大切に思えばといって、誰でも勝手に・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時田辺城には松向寺殿三斎忠興公御立籠り遊ばされおり候ところ、神君上杉景勝を討たせ給うにより、三斎公も随従遊ばされ、跡には泰勝院殿幽斎藤孝公御・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 宮崎が舟は廻り廻って、丹後の由良の港に来た。ここには石浦というところに大きい邸を構えて、田畑に米麦を植えさせ、山では猟をさせ、海では漁をさせ、蚕飼をさせ、機織をさせ、金物、陶物、木の器、何から何まで、それぞれの職人を使って造らせる山椒・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫