・・・これに比べると低地の草木にはどこかだらしのない倦怠の顔付が見えるようである。 帰りに、峰の茶屋で車を下りて眼の上の火山を見上げた。代赭色を帯びた円い山の背を、白いただ一筋の道が頂上へ向って延びている。その末はいつとなく模糊たる雲煙の中に・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
・・・張ったばかりの天井にふんの砂子を散らしたり、馬の眼瞼をなめただらして盲目にする厄介ものとも見られていた。近代になって、これが各種の伝染病菌の運搬者、播布者として、その悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「蠅取りデー」の出現を見るに・・・ 寺田寅彦 「蛆の効用」
・・・碌さんも同じく白地の単衣の襟をかき合せて、だらしのない膝頭を行儀よく揃える。やがて圭さんが云う。「僕の小供の時住んでた町の真中に、一軒豆腐屋があってね」「豆腐屋があって?」「豆腐屋があって、その豆腐屋の角から一丁ばかり爪先上がり・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・ 私は又、実際、セコンドメイトが、私の眼の前に、眼の横ではいけない、眼の前に、奴のローラー見たいな首筋を見せたら、私の担いでいた行李で、その上に載っかっている、だらしのないマット見たいな、「どあたま」を、地面まで叩きつけてやろう! と考・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
・・・それは全部、「そんな体を持ち合せた労働者が、だらしがない」からだ。 労働者たちは、その船を動かす蒸汽のようなものだ。片っ端から使い「捨て」られる。 暗い、暑い、息詰る、臭い、ムズムズする、悪ガスと、黴菌に充ちた、水夫室だった。 ・・・ 葉山嘉樹 「労働者の居ない船」
・・・学校でだけスマしていたって、だらしない子なら、お互によくその欠点もわかる。男の子も女の子も一緒だから淋しくないし、お互によくなろうとするし、さすがソヴェト同盟です。 二階から、今度はズッと降りて半地下室へ出かけた。ここには炊事場、フロ場・・・ 宮本百合子 「従妹への手紙」
・・・見物は、だらしなく、ワアハハハと笑うきりで手助けはしないし、火より先にけんかをやめさせる必要がある。勇吉夫婦は、ところが、名うての豪の者ではないか! 勘助は、馬さんと大手おけに水をくんでゆくと、いきなり、ざぶりと、燃える障子にぶちまけた・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・ヨーロッパの民衆は平常の表情はだらしないゆるんだ様子をしている者でも、何かまじめに考えたり、行動したりしようという瞬間には、その容貌が一変したようになって普通と違う緊張やある活気機敏さを示す。精神活動の目醒めがすぐそのものとして顔に出て来る・・・ 宮本百合子 「映画の恋愛」
・・・海軍は階級制度がだらしなくって、その点陸軍の方がはっきりしていますからね。僕はいま陸軍から引っ張りに来ているんですが、海軍が許さないのです。」 水交社が見えて来た。この海軍将校の集会所へ這入るのは、梶には初めてであった。どこの煙筒からも・・・ 横光利一 「微笑」
・・・彼が親しみを感ずることができなかったのは、こういう村でもすでに見いだすことのできる曖昧宿で、夜の仕事のために昼寝をしている二、三のだらしない女から、都会の文明の片鱗を見せたような無感動な眼を向けられた時だけでした。が、この一、二の例外が、彼・・・ 和辻哲郎 「土下座」
出典:青空文庫