・・・ この老人の頑固さ加減は立派な漢学者でありながらたれ一人相手にする者がないのでわかる。地下の百姓を見てもすぐと理屈でやり込めるところから敬して遠ざけられ、狭い田の畔でこの先生に出あう者はまず一丁前から避けてそのお通りを待っているという次・・・ 国木田独歩 「初恋」
・・・薄暗くて湿気があった。地下室のようだ。彼は、そこを、上等兵につれられて、垢に汚れた手すりを伝って階段を登った。一週間ばかりたった後のことだ。二階へ上るとようよう地下室から一階へ上った来たような気がした。しかし、そこが二階であることは、彼は、・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・それが、丁度、地下から突き出て来るように、一昨日よりは昨日、昨日よりは今日の方がより高くもれ上って来た。彼は、やはり西伯利亜だと思った。氷が次第に地上にもれ上って来ることなどは、内地では見られない現象だ。 子供達は、言葉がうまく通じない・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・自作農で破産をする人間、誰れもかれも街へ出て作り手がなく売りに出す人間、伊三郎が、又、息子の学資に畠の一部を売る場合――秋に入ると一と雨ごとに涼しくなる、そんな風に、地価は、一つの売出し毎に、相場がだん/\さがった。 そんな土地を、親爺・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・ トロッコのレールが縦横に敷かさっている薄暗い一見地下室らしく見えるところを通って、階段を上ると、広い事務所に出た。そこで私の両側についてきた特高が引き継ぎをやった。「君は秋田の生れだと云ったな。僕もそうだよ。これも何んかのめぐり合・・・ 小林多喜二 「独房」
一 仕事をしながら、龍介は、今日はどうするかと、思った。もう少しで八時だった。仕事が長びいて半端な時間になると、龍介はいつでもこの事で迷った。 地下室に下りていって、外套箱を開けオーバーを出して着ながら・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・と家を駈け出し当分冬吉のもとへ御免候え会社へも欠勤がちなり 絵にかける女を見ていたずらに心を動かすがごとしという遍昭が歌の生れ変り肱を落書きの墨の痕淋漓たる十露盤に突いて湯銭を貸本にかすり春水翁を地下に瞑せしむるのてあいは二言目には女で・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・その窓の下には、地下室にでもいるような静かさがある。 ちょうど三年ばかり前に、五十日あまりも私の寝床が敷きづめに敷いてあったのも、この四畳半の窓の下だ。思いがけない病が五十の坂を越したころの身に起こって来た。私はどっと床についた。その時・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ 翌る日午後五時に、私たちは上野駅で逢い、地下食堂でごはんを食べた。北さんは、麻の白服を着ていた。私は銘仙の単衣。もっとも、鞄の中には紬の着物と、袴が用意されていた。ビイルを飲みながら北さんは、「風向きが変りましたよ。」と言った。ち・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・葉の繁るころ、この路はうすぐらく、地下道のようである。いまは一枚の葉もない。並木路のつきるところ、正面に赤い化粧煉瓦の大建築物。これは講堂である。われはこの内部を入学式のとき、ただいちど見た。寺院の如き印象を受けた。いまわれは、この講堂の塔・・・ 太宰治 「逆行」
出典:青空文庫