・・・迷信や思う方がどだい無智や。ちゃんと実例が証明してるやないか」 そして私の方に向って、「なあ、そうでっしゃろ。違いまっか。どない思いはります?」 気がつくと、前歯が一枚抜けているせいか、早口になると彼の言葉はひどく湿り気を帯びた・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・ と云うことをちゃんと暗示して了うんだからね、つまり相手の精神に縄を打ってあるんだからな、これ程確かなことはない」「フム、そんなものかねえ」 彼は感心したように首肯いて警部の話を聞いていたが、だん/\と、この男がやはり、自分のことを・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・それともこんな反省すらもちゃんと予定の仕組で、今もしあの男の影があすこへあらわれたら、さあいよいよと舌を出すつもりにしていたのではなかろうか……」 生島はだんだんもつれて来る頭を振るようにして電燈を点し、寝床を延べにかかった。 ・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・お俊はしきりに私の世話を焼いて、飯まで炊いてくれることもあり、菜ができると持って来てくれる、私の役所から帰らぬうちにちゃんと晩の仕度をしてくれることもあり、それですから藤吉がある時冷かしまして、『お前はこのごろ亭主が二人できたから忙がしいな・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・攻勢の華やかな時代にプロレタリア文学があって、敗北の闇黒時代に、それぞれちゃんと生きている労働者の生活を書かないのは、おかしな話だ。むしろ、こういう苦難の時代の労働者や農民の生活をかくことにこそ意義があるのではないか。 これも、しかし東・・・ 黒島伝治 「田舎から東京を見る」
・・・吾家の母様もおまえのことには大層心配をしていらしって、も少しするとおまえのところの叔父さんにちゃんと談をなすって、何でもおまえのために悪くないようにしてあげようって云っていらっしゃるのだから、辛いだろうがそんな心持を出さないで、少しの間辛抱・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ところが先方にも荒神様が付いていない訳ではなくて、チャント隠し印のあることには気が付かなかったのである。こういうイキサツだから何時まで経っても売れない。そこで正賓は召使の男を遣って、雲林を取返して来いといい付けた。隠し印のことは無論男に呑込・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・「とうさん、僕と三ちゃんと二人で行ってさがして来るよ。いい家があったら、とうさんは見においで。」 次郎は次郎でこんなふうに引き受け顔に言って、画作の暇さえあれば一人でも借家をさがしに出かけた。 今さらのように、私は住み慣れた家の・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それへこの鍵がちゃんとはまるのですから。」と言いました。じいさんはそれっきり二度と村へは来ませんでした。 ウイリイは丈夫に大きくなりました。それに大へんすなおな子で、ちっとも手がかかりませんでした。 ふた親は乞食のじいさんがおいてい・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・あの時お前さんがわたしの言った通りにすると、今はちゃんと家持になっているのね。去年のクリスマスにはあの約束をおしの人の二親のいる、田舎の内にお前さんは行っていて、そういったっけね。もうもう芝居なんぞは厭だ。こんな田舎で気楽に暮したいとそうい・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
出典:青空文庫