・・・「しかし私が診察した時にゃ、まだ別に腹膜炎などの兆候も見えないようでしたがな。――」 戸沢がこう云いかけると、谷村博士は職業的に、透かさず愛想の好い返事をした。「そうでしょう。多分はあなたの御覧になった後で発したかと思うんです。・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山楚水、蘇浙小観、北清見聞録、長江十年、観光紀游、征塵録、満洲、巴蜀、湖南、漢口、支那風韻記、支那――編輯者 それをみんな読んだのですか?・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚の外に見るもののないことを覚悟していた。しかしこう言う見すぼらしさはやはり僕には失望に近い感情を与えたのに違いなかった。 江丸は運命に従うようにじりじり桟橋へ近づいて行った・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・ 自己嫌悪 最も著しい自己嫌悪の徴候はあらゆるものにうそを見つけることである。いや、必ずしもそればかりではない。その又を見つけることに少しも満足を感じないことである。 外見 由来最大の臆病者ほど最大の・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・麦類には黒穂の、馬鈴薯にはべと病の徴候が見えた。虻と蚋とは自然の斥候のようにもやもやと飛び廻った。濡れたままに積重ねておいた汚れ物をかけわたした小屋の中からは、あらん限りの農夫の家族が武具を持って畑に出た。自然に歯向う必死な争闘の幕は開かれ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・人に小用をさせたりして、碌々熟睡する暇もなく愛の限りを尽したお前たちの母上が、四十一度という恐ろしい熱を出してどっと床についた時の驚きもさる事ではあるが、診察に来てくれた二人の医師が口を揃えて、結核の徴候があるといった時には、私は唯訳もなく・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ぞっと身振いをするほど、著しき徴候を現したのである。しかし何というても二人の関係は卵時代で極めて取りとめがない。人に見られて見苦しい様なこともせず、顧みて自ら疚しい様なこともせぬ。従ってまだまだ暢気なもので、人前を繕うと云う様な心持は極めて・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・と聞いていた故、哲学者風の重厚沈毅に加えて革命党風の精悍剛愎が眉宇に溢れている状貌らしく考えていた。左に右く多くの二葉亭を知る人が会わない先きに風采閑雅な才子風の小説家型であると想像していたと反して、私は初めから爾うは思っていなかった。・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・であるから坪内君は私の先生ではあるが、多勢の聴講者の中に交ってたッた二、三回しか講義を聞いただけの頗る薄い関係であるし、平生先生呼ばわりをされる事が嫌いな人だから一度も先生といった事はないけれども、たしかに明治二十二年頃の初対面以後今日まで・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・謹厳方直容易に笑顔を見せた事がないという含雪将軍が緋縅の鎧に大身の槍を横たえて天晴な武者ぶりを示せば、重厚沈毅な大山将軍ですらが丁髷の鬘に裃を着けて踊り出すという騒ぎだ。ましてやその他の月卿雲客、上臈貴嬪らは肥満の松風村雨や、痩身の夷大黒や・・・ 内田魯庵 「四十年前」
出典:青空文庫