・・・日射病の兆候でもないらしい。全く何も比較の尺度のない一様な緑の視界はわれわれの空間に対する感官を無能にするらしい。 途中から文科のN君が一緒になった。三人のプレイが素人目に見てもそれぞれちゃんとはっきりした特徴があって面白い。クラブと球・・・ 寺田寅彦 「ゴルフ随行記」
・・・ 雨上りのせいもあろうが、樹木の緑の色がいかにも落着いた、重厚な、しかも美しい暗緑色をしている。低くてなだらかな山々が広く長く根を張っている姿も、やはりいかにも落着いたのんびりした感じを与える。それでいて山水遠近の配置が決して単調でなく・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
・・・自分はそれほどに思わなかったが脳貧血の兆候が顔に現われたものと見える。この時に全部の手術を受け持ってくれたF学士に抜歯術に関する力学的解説を求められたので、大判洋紙五六枚に自分の想像説を書きつけてさし出したのであった。それはいいかげんなもの・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・彼らの中の古老は気象学者のまだ知らない空の色、風の息、雲のたたずまい、波のうねりの機微なる兆候に対して尖鋭な直観的洞察力をもっている。長い間の命がけの勉強で得た超科学的の科学知識によるのである。それによって彼らは海の恩恵を受けつつ海の禍を避・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・これが喜びを表わす兆候であるという事は始めての私にはすぐにはどうもふに落ちなかった。「この猫は肺でもわるいんじゃないか」と言ったらひどく笑われてしまった。実際今でも私にははたして咽喉が鳴っているのか肺の中が鳴っているのかわからないのである。・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ ベルリン着早々、中村気象台長からの紹介状をもってヘルマン教授を尋ね聴講科目などの指導を仰いだ。結局第一学期には、プランクの「物理学の全系統」ヘルマンの「気象器械の理論と用法」並びに「気象輪講」ルーベンスの「物理輪講」アドルフ・シュミッ・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・ まず第一楽章六句はおのずから温雅で重厚な気分に統一されている場合が多いようである。ここでは神祇釈教恋無常の活躍は許されない。テンポで言えばまずアンダンテのような心持ちである。第二楽章十二句になるとよほど活発にあるいはパッショネートにな・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・そこに重厚な好所があるとすれば、子規の画はまさに働きのない愚直ものの旨さである。けれども一線一画の瞬間作用で、優に始末をつけられべき特長を、とっさに弁ずる手際がないために、やむをえず省略の捷径を棄てて、几帳面な塗抹主義を根気に実行したとすれ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・一九三三年の佐野、鍋山の転向を筆頭とする大腐敗の徴候は、一九三二年三月のプロレタリア文化団体への弾圧以後、次第に日和見的な態度として文学団体の中へもあらわれて来ていたことの証拠である。「一連の非プロレタリア的作品」に対する自己批判として・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
・・・にひきずられて、天性の重厚のままにとりかえしのつかないほど歪み萎えさせられたところにある。 森鴎外にしろ、夏目漱石にしろ、荷風にしろ、当時の社会環境との対決において自分のうちにある日本的なものとヨーロッパ的なものとの対立にくるしんだ例は・・・ 宮本百合子 「偽りのない文化を」
出典:青空文庫