・・・然し何と重厚に自然は季節を踏んで行くことだろう。先月二十七日に来た時、東公園と呼ばれる一帯の丘陵はまだ薄すり赤みを帯びた一面の茶色で、枯木まじりに一本、コブシが咲いていた。その白い花の色が遠目に立った。やがて桜が咲いて散り、石崖の横に立つ何・・・ 宮本百合子 「夏遠き山」
・・・ああここにはこういう生活がある、とその生活の姿に芸術の心をつかまれてグルリ、グルリと執拗にカメラの眼玉を転廻させ、その対象となる人々も、さて、これが我々の生活だ、どうぞ、と腰を据えている重厚さは、まだまだああいう場面に滲み出して来ていない。・・・ 宮本百合子 「「保姆」の印象」
・・・蓮花の茎が入り乱れて抽でている下に鷺を配したところも凡手でなく、一種重厚な、美を貫く生の凄さに似たものさえ、その時代のついた画面から漂って来るのだ。 その絵から私は強い印象を受け、こうやって書いていても、黝んだ蓮の折れ葉の下に戦ぐ鷺・・・ 宮本百合子 「蓮花図」
・・・これは学術上の現症記事ではないから、一々の徴候は書かない。しかし卒業して間もない花房が、まだ頭にそっくり持っていた、内科各論の中の破傷風の徴候が、何一つ遺れられずに、印刷したように目前に現れていたのである。鼻の頭に真珠を並べたように滲み出し・・・ 森鴎外 「カズイスチカ」
・・・これは確に思想の貧弱な徴候だろうと思うのです。 批評壇が、時を得ていない人は、時を得ている人に対してきっと不平を懐いていて、そんな人の云うことは、厭味、愚痴の外にないように思うのは、批評家の思想の貧弱ではあるまいかと思うのです。 私・・・ 森鴎外 「Resignation の説」
・・・ 執拗な熱のある筆触、変化の多い濃淡、重厚な正面からの写実、――そういうものが日本画に望めるかどうか、それをかつて自分は問題にした。川端氏は黄熟せる麦畑の写実によってそれの可能を実証してくれた。昨年の『慈悲光礼讃』に比べれば、その観照の・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・ 苦患は戦いの徴候である。歓喜は勝利の凱歌である。生は不断の戦いであるゆえに苦患と離れることができない。勝利は戦って獲られるべき貴い瞬間であるゆえに必ず苦患を予想する。我らは生きるために苦患を当然の運命として愛しなければならぬ。そして電・・・ 和辻哲郎 「ベエトォフェンの面」
出典:青空文庫