・・・昔は蔵前の札差とか諸大名の御金御用とかあるいはまたは長袖とかが、楽しみに使ったものだそうだが、今では、これを使う人も数えるほどしかないらしい。 当日、僕は車で、その催しがある日暮里のある人の別荘へ行った。二月の末のある曇った日の夕方であ・・・ 芥川竜之介 「野呂松人形」
・・・小作料を徴収したり、成墾費が安く上がったりしたことには成功したかもしれませんが、農場としてはいったいどこが成功しているんでしょう」「そんなことを言ったってお前、水呑百姓といえばいつの世にでも似たり寄ったりの生活をしているものだ。それが金・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ 単に利害勘定からいっても、私の父がこの土地に投入した資金と、その後の維持、改良、納税のために支払った金とを合算してみても、今日までの間毎年諸君から徴集していた小作料金に比べればまことにわずかなものです。私がこれ以上諸君から収めるのは、・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・と喚くと、一子時丸の襟首を、長袖のまま引掴み、壇を倒に引落し、ずるずると広前を、石の大鉢の許に掴み去って、いきなり衣帯を剥いで裸にすると、天窓から柄杓で浴びせた。「塩を持て、塩を持て。」 塩どころじゃない、百日紅の樹を前にした、社務・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・ 然るに六十何人の大家族を抱えた榎本は、表面は贅沢に暮していても内証は苦しかったと見え、その頃は長袖から町家へ縁組する例は滅多になかったが、家柄よりは身代を見込んで笑名に札が落ちた。商売運の目出たい笑名は女運にも果報があって、老の漸く来・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・この満場爪も立たない聴衆の前で椿岳は厳乎らしくピヤノの椅子に腰を掛け、無茶苦茶に鍵盤を叩いてポンポン鳴らした。何しろ洋楽といえば少数の文明開化人が横浜で赤隊の喇叭を聞いたばかりの時代であったから、満場は面喰って眼を白黒しながら聴かされて煙に・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ その年の暮、二ツ井戸の玉突屋日本橋クラブの二階広間で広沢八助連中素人浄瑠璃大会が開かれ、聴衆約百名、盛会であった。軽部村彦こと軽部村寿はそのときはじめて高座に上った。はじめてのことゆえむろん露払いで、ぱらりぱらりと集りかけた聴衆の・・・ 織田作之助 「雨」
・・・ 読者や批評家や聴衆というものは甘いものであって、先日私はある文芸講演会でアラビヤ語について話をし、私がいま読売新聞に書いている小説に出て来る「キャッキャッ」という言葉は実はアラビヤ語であって、一人寂しく寝るという意味を表現する言葉であ・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・ 断り無しに持って来た荷物を売りはらった金で、人力車を一台購い、長袖の法被に長股引、黒い饅頭笠といういでたちで、南地溝の側の俥夫の溜り場へのこのこ現われると、そこは朦朧俥夫の巣で、たちまち丹造の眼はひかり、彼等の気風に染まるのに何の造作・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・私が聴いたのは何週間にもわたる六回の連続音楽会であったが、それはホテルのホールが会場だったので聴衆も少なく、そのため静かなこんもりした感じのなかで聴くことができた。回数を積むにつれて私は会場にも、周囲の聴衆の頭や横顔の恰好にも慣れて、教室へ・・・ 梶井基次郎 「器楽的幻覚」
出典:青空文庫