・・・煙草盆はひっくりかえす、茶碗が転る、銚子は割れる、興奮のあまり刀を振りまわすこともあり、伊助の神経には堪えられぬことばかしであった。 登勢は抜身の刀などすこしも怖がらず、そんな客のさっぱりした気性もむしろ微笑ましかったが、しかし夫がいや・・・ 織田作之助 「螢」
・・・新規開店に先立ち、法善寺境内の正弁丹吾亭や道頓堀のたこ梅をはじめ、行き当りばったりに関東煮屋の暖簾をくぐって、味加減や銚子の中身の工合、商売のやり口などを調べた。関東煮屋をやると聴いて種吉は、「海老でも烏賊でも天婦羅ならわいに任しとくなはれ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 担架は調子好く揺れて行く。それがまた寝せ付られるようで快い。今眼が覚めたかと思うと、また生体を失う。繃帯をしてから傷の痛も止んで、何とも云えぬ愉快に節々も緩むよう。「止まれ、卸せ! 看護手交代! 用意! 担え!」 号令を掛けた・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・「よし/\、エダマメ二――それからお銚子……」 彼はやはり同じ調子で叫んだ。 やがて食い足った子供等は外へ出て、鬼ごっこをし始めた。長女は時々扉のガラスに顔をつけて父の様子を視に来た。そして彼の飲んでるのを見て安心して、また笑い・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・ それから四十九日が済んだという翌くる日の夕方前、――丁度また例の三百が来ていて、それがまだ二三度目かだったので、例の廻り冗い不得要領な空恍けた調子で、並べ立てていた処へ、丁度その小包が着いたのであった。「いや私も近頃は少し脳の加減を悪・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
・・・自分も生爪を剥いだり、銚子を床の間に叩きつけたりしては、下宿から厳しい抗議を受けた。でも昨今は彼女も諦めたか、昼間部屋の隅っこで一尺ほどの晒しの肌襦袢を縫ったり小ぎれをいじくったりしては、太息を吐いているのだ。 何しろ、不憫な女には違い・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・分家の長兄もいつか運転手の服装を改めて座につき、仕出し屋から運ばれた簡単な精進料理のお膳が二十人前ほど並んで、お銚子が出されたりして、ややいなかのお葬式めいた気持になってきた。それからお経が始まり、さらに式場が本堂前に移されて引導を渡され、・・・ 葛西善蔵 「父の葬式」
・・・ 耳の敏い事は驚く程で、手紙や号外のはいった音は直ぐ聞きつけて取って呉れとか、広告がはいってもソレ手紙と云う調子です。兎に角お友達から来る手紙を待ちに待った様子で有りました。こんな訳で、内証言は一つも言えませんから、私は医師の宅まで出か・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・しかしその少し強制がましい調子のなかには、自分の持っている欲望を、言わば相手の身体にこすりつけて、自分と同じような人間を製造しようとしていたようなところが不知不識にあったらしい気がする。そして今自分の待っていたものは、そんな欲望に刺戟されて・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・として、綱雄などのなかなか及ぶところでないと独り語つ。光代は傍に聞いていたりしが、それでもあの綱雄さんは、もっと若くって上品で、沈着いていて気性が高くって、あの方よりはよッぽどようござんすわ。と調子に確かめて膝押し進む。ホイ、お前の前で言う・・・ 川上眉山 「書記官」
出典:青空文庫