・・・ この時小綺麗な顔をした、田舎出らしい女中が、燗を附けた銚子を持って来て、障子を開けて出すと主人が女房に目食わせをした。女房は銚子を忙しげに受け取って、女中に「用があればベルを鳴らすよ、ちりんちりんを鳴らすよ、あっちへ行ってお出」と云っ・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・初めは本当の事のように活溌な調子で話すがよい。末の方になったら段々小声にならなくてはいけない。 一 町なかの公園に道化方の出て勤める小屋があって、そこに妙な男がいた。名をツァウォツキイと云った。ツァウォツキイはえらい・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・更けても暗くはならない、此頃の六月の夜の薄明りの、褪めたような色の光線にも、また翌日の朝焼けまで微かに光り止まない、空想的な、不思議に優しい調子の、薄色の夕日の景色にも、また暴風の来そうな、薄黒い空の下で、銀鼠色に光っている海にも、また海岸・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・柔らかで細かい、静かで淡い全体の調子も、この動機を力強く生かせている。 このような淡い繊弱な画が、強烈な刺激を好む近代人の心にどうして響くか、と人は問うであろう。しかしその答えはめんどうでない。極度に敏感になった心には、微かな濃淡も強す・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫