・・・ 高い金棒の窓の丁度真ッ上が隣りの家の「物ほし」になっていて、十六七の娘さんが丁度洗濯物をもって、そこの急な梯子を上って行くところだった。――それが真ッ下から、そのまゝ見上げられた。 その後、誰か一人が合図をすると、皆は看守に気取ら・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ ある日のことであった。丁度自分の休暇に当ったので、事務の引続を当番の同僚に頼むつもりで書いて置いた気圧の表を念の為に読んで見た。天気、晴。気温、上昇。雲形、層、層積、巻層、巻積。よし。それで自分は小高い山の上にある長野の測候所を出た。・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・老人はそういう家を一軒一軒心配げな、物を試すような、熱のある目で見ていた。丁度今一群の人達を眺めると同じような眺め方であった。どうかするとある家の前で立ち留まって戸口や窓の方を見ることがあったが、間もなく、最初は緩々と、そのうちにまた以前の・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・これはディオニシアスが、おれの境遇は丁度この通りだということを見せてやろうというので、わざわざ仕組んだのでした。 ディオニシアスは、こんな乱暴な人でしたけれど、それと一しょに、一方には大層学問があり、色々の学者や詩人たちを、いつも側に集・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・そんなにして坐っていて、わたしの顔を見ているその目付で、わたしの考えの糸を、丁度繭から絹糸を引き出すように手繰出すのだわ。その手繰出されたわたしの考えは疑い深い考えかも知れない。わたしにもよく思って見なくちゃあ分からないわ。一体お前さんはな・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・彼女は、丁度人が暑さに恐れて皆家へ入っているインドの真昼間のように、静かで独りぼっちなのでした。 スバーの住んでいたのは、チャンデプールと云う村でした。ベンガール地方の川としては小さいその村の川は、あまり立派でもない家の娘のように、狭い・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・「空論をお話して一向とりとめがないけれど、それは恐縮でありますが、丁度このごろ解析概論をやっているので、ちょっと覚えているのですが、一つの例として級数についてお話したい。二重もしくは、二重以上の無限級数の定義には、二種類あるのではないか、と・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・多少内福らしき地主の家の調度。奥に二階へ通ずる階段が見える。上手は台所、下手は玄関の気持。幕あくと、伝兵衛と数枝、部屋の片隅のストーヴにあたっている。二人、黙っている。柱時計が三時を打つ。気まずい雰囲気。突然、数枝が低い異様・・・ 太宰治 「冬の花火」
・・・こう云うとたんに、丁度美しい小娘がジュポンの裾を撮んで、ぬかるみを跨ごうとしているのを見附けた竜騎兵中尉は、左の手にを握っていた軍刀を高く持ち上げて、極めて熱心にその娘の足附きを見ていたが、跨いでしまったのを見届けて、長い脚を大股に踏んで、・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・ 丁度この頃、彼の父は家族を挙げてミュンヘンに移転した。今度の家は前のせまくるしい住居とちがって広い庭園に囲まれていたので、そこで初めて自由に接することの出来た自然界の印象も彼の生涯に決して無意味ではなかったに相違ない。 彼の家族に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
出典:青空文庫