・・・何でも三浦の話によると、これは彼の細君の従弟だそうで、当時××紡績会社でも歳の割には重用されている、敏腕の社員だと云う事です。成程そう云えば一つ卓子の紅茶を囲んで、多曖もない雑談を交換しながら、巻煙草をふかせている間でさえ、彼が相当な才物だ・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・時に大正壬戌の年、黄花未だ発せざる重陽なり。 芥川竜之介 「恒藤恭氏」
・・・仁右衛門は長幼の容捨なく手あたり次第に殴りつけた。 小屋に帰ると妻は蓆の上にペッたんこに坐って馬にやる藁をざくりざくり切っていた。赤坊はいんちこの中で章魚のような頭を襤褸から出して、軒から滴り落ちる雨垂れを見やっていた。彼れの気分にふさ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・降のめりやすを太く着込んだ巌丈な腕を、客商売とて袖口へ引込めた、その手に一条の竹の鞭を取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後は尾ノ道、肥後は熊本の刻煙草を指示す……「内務省は煙草専売局、印紙御貼用済。味は至極可えで、喫んで見た上で買・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・榊の葉やいろいろの花にこぼれている朝陽の色が、見えるように思われた。 やがて、家々の戸が勢いよく開いて、学校へ行く子供の声が路に聞こえはじめた。女はまだ深く睡っていた。「帰って、風呂へ行って」と女は欠伸まじりに言い、束髪の上へ載せる・・・ 梶井基次郎 「ある心の風景」
・・・ 夫はからだが弱いので、召集からも徴用からものがれ、無事に毎日、雑誌社に通勤していたのですが、戦争がはげしくなって、私たちの住んでいるこの郊外の町に、飛行機の製作工場などがあるおかげで、家のすぐ近くにもひんぴんと爆弾が降って来て、とうと・・・ 太宰治 「おさん」
僕は、女をひとり、殺した事があるんです。実にあっけなく、殺してしまいました。 終戦直後の事でした。僕は、敗戦の前には徴用で、伊豆の大島にやられていまして、毎日毎日、実にイヤな穴掘工事を言いつけられ、もともとこんな痩せ細・・・ 太宰治 「女類」
・・・ つい先日、私の友人の画かきさんが、徴用されて或る工場に勤める事になり、私はその画かきさんに用事があったので、最近三度ばかり、その工場にたずねて行きました。用事というのは、こんど出版される筈の私の小説集の表紙の画をかいてもらう事でしたが・・・ 太宰治 「東京だより」
・・・と言ったわ、姉さんはね、あれで、とっても口が悪いの、あたしは可哀想な子なのよ、いつも姉さんに怒られてばっかりいるの、立つ瀬が無いの、あたし職業婦人になるのよ、いい勤め口を捜して下さいね、あたし達だって徴用令をいただけるの、遠い所へ行きたいな・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・そもそも初枝女史は、実に筆者の実姉にあたり、かつまた、筆者のフランス語の教師なのでありますから、筆者は、つねにその御識見にそむかざるよう、鞠躬如として、もっぱらお追従に之努めなければなりませぬ。長幼、序ありとは言いながら、幼者たるもの、また・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
出典:青空文庫