・・・ 竹の皮散り、貧乏徳利の転った中に、小一按摩は、夫人に噛りついていたのである。 読む方は、筆者が最初に言ったある場合を、ごく内端に想像さるるが可い。 小一に仮装したのは、この山の麓に、井菊屋の畠の畑つくりの老僕と日頃懇意な、・・・ 泉鏡花 「怨霊借用」
・・・ 羽目も天井も乾いて燥いで、煤の引火奴に礫が飛ぶと、そのままチリチリと火の粉になって燃出しそうな物騒さ。下町、山の手、昼夜の火沙汰で、時の鐘ほどジャンジャンと打つける、そこもかしこも、放火だ放火だ、と取り騒いで、夜廻りの拍子木が、枕に響・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・たとい地理にしていかなりとも。 ――松島の道では、鼓草をつむ道草をも、溝を跨いで越えたと思う。ここの水は、牡丹の叢のうしろを流れて、山の根に添って荒れた麦畑の前を行き、一方は、角ぐむ蘆、茅の芽の漂う水田であった。 道を挟んで、牡丹と・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・「御主人の前で、何も地理を説く要はない。――御修繕中でありました。神社へ参詣をして、裏門の森を抜けて、一度ちょっと田畝道を抜けましたがね、穀蔵、もの置蔵などの並んだ処を通って、昔の屋敷町といったのへ入って、それから榎の宮八幡宮――この境・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・且つちり乱るる、山裾の草にほのめいた時は、向瀬の流れも、低い磧の撫子を越して、駒下駄に寄ったろう。…… 風が、どっと吹いて、蓮根市の土間は廂下りに五月闇のように暗くなった。一雨来よう。組合わせた五百羅漢の腕が動いて、二人を抱込みそう・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・りと冷たい魂がさまよう姿で、耄碌頭布の皺から、押立てた古服の襟許から、汚れた襟巻の襞ひだの中から、朦朧と顕れて、揺れる火影に入乱れる処を、ブンブンと唸って来て、大路の電車が風を立てつつ、颯と引攫って、チリチリと紫に光って消える。 とどの・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……こんな時鉄砲は強うございますよ、ガチリ、実弾をこめました。……旧主人の後室様がお跣足でございますから、石松も素跣足。街道を突っ切って韮、辣薤、葱畑を、さっさっと、化けものを見届けるのじゃ、静かにということで、婆が出て来ました納戸口から入・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・血は上ずっても、性は陰気で、ちり蓮華の長い顔が蒼しょびれて、しゃくれてさ、それで負けじ魂で、張立てる治兵衛だから、人にものさ言う時は、頭も唇も横町へつん曲るだ。のぼせて、頭ばっかり赫々と、するもんだで、小春さんのいい人で、色男がるくせに、頭・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・秋のころには、そこに植わっている桜の木が、黄色になって、はらはらと葉がちりかかりました。そして、年子は、先生の姿を見つけると、ご本の赤いふろしき包みを打ち振るようにして駆け出したものです。「あまり遅いから、どうなさったのかと思って待って・・・ 小川未明 「青い星の国へ」
・・・そして、ある日のこと、ひとしきり風が吹いたときに、花はこぼれるように水の面にちりかかったのであります。「ああ、花が降ってきた。」と、川の中の魚は、みんな大騒ぎをしました。「まあ、なんというりっぱさでしょう。しかし、子供らが、うっかり・・・ 小川未明 「赤い魚と子供」
出典:青空文庫