・・・スワはそんな苔を眺めるごとに、たった一人のともだちのことを追想した。蕈のいっぱいつまった籠の上へ青い苔をふりまいて、小屋へ持って帰るのが好きであった。 父親は炭でも蕈でもそれがいい値で売れると、きまって酒くさいいきをしてかえった。たまに・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・孤高だなんて、あなたは、お取巻きのかたのお追従の中でだけ生きているのにお気が附かれないのですか。あなたは、家へおいでになるお客様たちに先生と呼ばれて、誰かれの画を、片端からやっつけて、いかにも自分と同じ道を歩むものは誰も無いような事をおっし・・・ 太宰治 「きりぎりす」
・・・と熊本君にまで卑しいお追従を言ったのである。「そうですとも。」熊本君は、御機嫌を直して、尊大な口調で相槌打った。「私たちは、パルナシヤンです。」「パルナシヤン。」佐伯は、低い声でそっと呟いていた。「象牙の塔か。」 佐伯の、その、・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・私のこれまでの生涯を追想して、幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期は、私が三十歳の時、いまの女房を井伏さんの媒酌でもらって、甲府市の郊外に一箇月六円五十銭の家賃の、最小の家を借りて住み、二百円ばかりの印税を貯金して誰とも逢わず、午後の四時頃・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・聖書辞典に拠ると、「悪鬼とは、サタンに追従して共に堕落し霊物にして、人を怨み之を汚さんとする心つよく、其数多し」とある。甚だ、いやらしいものである。わが名はレギオン、我ら多きが故なりなどと嘯いて、キリストに叱られ、あわてて二千匹の豚の群に乗・・・ 太宰治 「誰」
・・・にこにこ卑しい追従笑いを浮べて、無心そうに首を振り、ゆっくり、ゆっくり、内心、背中に毛虫が十匹這っているような窒息せんばかりの悪寒にやられながらも、ゆっくりゆっくり通るのである。つくづく自身の卑屈がいやになる。泣きたいほどの自己嫌悪を覚える・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・以前と違って、矢鱈に私にお追従ばかりおっしゃるので、私は、まごついて、それから苦しくなりました。きりょうが良いの、しとやかだのと、聞いて居られないくらいに見え透いたお世辞をおっしゃって、まるで私が、先生の目上の者か何かみたいに馬鹿叮嚀な扱い・・・ 太宰治 「千代女」
・・・ なお、その老人に茶坊主の如く阿諛追従して、まったく左様でゴゼエマス、大衆小説みたいですね、と言っている卑しく痩せた俗物作家、これは論外。 四 或る雑誌の座談会の速記録を読んでいたら、志賀直哉というのが、妙に・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・お追従笑いなどをして、有原の美しい顔を、ほれぼれと見上げる。 勝治に圧倒的な命令を下して、仙之助氏の画を盗み出させたのも、こいつだ。本牧に連れていって勝治に置いてきぼりを食らわせたのも、こいつだ。勝治がぐっすり眠っている間に、有原はさっ・・・ 太宰治 「花火」
・・・と云って不思議な笑いを見せられたことを追想するとそこにまた色々な面白い暗示が得られるようである。 S先生が生きてさえおられれば、もう一遍よく御尋ねして確かめる事が出来るのであるが残念なことには数年前に亡くなられたので、もうどうにも取返し・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫