・・・二人は思わず顔を見合せると、ほとんど一秒もためらわずに、夏羽織の裾を飜しながら、つかつかと荒物屋の店へはいりました。そのけはいに気がついて、二人の方を振り向いたお敏は、見る見る蒼白い頬の底にほのかな血の色を動かしましたが、さすがに荒物屋のお・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・立花は夢心地にも、何等か意味ありげに見て取ったので、つかつかと靴を近けて差覗いたが、ものの影を見るごとき、四辺は、針の長短と位地を分ち得るまでではないのに、判然と時間が分った。しかも九時半の処を指して、時計は死んでいるのであるが、鮮明にその・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ と小児に打たせたそうに、つかつかと寄ったが、ぎょっとして退った。 檐下の黒いものは、身の丈三之助の約三倍、朦朧として頭の円い、袖の平たい、入道であった。 女房は身をしめて、キと唇を結んだのである。 時に身じろぎをしたと覚し・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ ト、町へたらたら下りの坂道を、つかつかと……わずかに白い門燈を離れたと思うと、どう並んだか、三人の右の片手三本が、ひょいと空へ、揃って、踊り構えの、さす手に上った。同時である。おなじように腰を捻った。下駄が浮くと、引く手が合って、おな・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・はずいと立って、七輪の前へ来ると、蹲んで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張の真鍮の煙管の雁首をかえして、突いて火を寄せて、二ツ提の煙草入にコツンと指し、手拭と一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつかと出て、まだ雫の止まぬ、びしょ濡・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ で、上靴を穿かせて、つるつるする広い取着の二階へ導いたのであるが、そこから、も一ツつかつかと階子段を上って行くので、連の男は一段踏掛けながら慌しく云った。「三階か。」「へい、四階でございます。」と横に開いて揉手をする。「そ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・ 羽織の袖口両方が、胸にぐいと上るように両腕を組むと、身体に勢を入れて、つかつかと足を運んだ。 軒から直ぐに土間へ入って、横向きに店の戸を開けながら、「御免なさいよ。」「はいはい。」 と軽い返事で、身軽にちょこちょこと茶・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ 半纏着は、肩を斜っかいに、つかつかと寄って、「待てったら、待て。」とドス声を渋くかすめて、一つしゃくって、頬被りから突出す頤に凄味を見せた。が、一向に張合なし……対手は待てと云われたまま、破れた暖簾に、ソヨとの風も無いように、ぶら・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
一 東京もはやここは多摩の里、郡の部に属する内藤新宿の町端に、近頃新開で土の色赤く、日当のいい冠木門から、目のふちほんのりと酔を帯びて、杖を小脇に、つかつかと出た一名の瀟洒たる人物がある。 黒の洋服・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ ――わあ―― と罵るか、笑うか、一つ大声が響いたと思うと、あの長靴なのが、つかつかと進んで、半月形の講壇に上って、ツと身を一方に開くと、一人、真すぐに進んで、正面の黒板へ白墨を手にして、何事をか記すのです、――勿論、武装のままであ・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
出典:青空文庫