・・・との浜千さとの目路に塵をなみすずしさ広き砂上の月薔薇羽ならす蜂あたたかに見なさるる窓をうづめて咲くさうびかな題しらず雲ならで通はぬ峰の石陰に神世のにほひ吐く草花歌会の様よめる中に・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・ 坂を下りて提灯が見えなくなると熊手持って帰る人が頻りに目につくから、どんな奴が熊手なんか買うか試に人相を鑑定してやろうと思うて居ると、向うから馬鹿に大きな熊手をさしあげて威張ってる奴がやって来た。職人であろうか、しかし善く分らぬ。月が・・・ 正岡子規 「熊手と提灯」
・・・橋あり長さ数十間その尽くる処嶄岩屹立し玉筍地を劈きて出ずるの勢あり。橋守に問えば水晶巌なりと答う。 水晶のいはほに蔦の錦かな 南条より横にはいれば村社の祭礼なりとて家ごとに行燈を掛け発句地口など様々に書き散らす。若人はたすきりり・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・水の低きに就くがごとく停滞するところなし。恨むらくは彼は一篇の文章だも純粋の美文として見るべきものを作らざりき。 蕪村の俳句は今に残りしもの一千四百余首あり、千首の俳句を残したる俳人は四、五人を出でざるべし。蕪村は比較的多作の方なり。し・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・道後の旅店なんかは三津の浜の艀の着く処へ金字の大広告をする位でなくちゃいかんヨ。も一歩進めて、宇品の埠頭に道後旅館の案内がある位でなくちゃだめだ。松山人は実に商売が下手でいかん。」「なるほどこりゃ御城山に登る新道だナ。男も女も馬鹿に沢山・・・ 正岡子規 「初夢」
・・・固より船中の事で血を吐き出す器もないから出るだけの血は尽く呑み込んでしまわねばならぬ。これもいやな思いの一つであった。夜が明けても船の中は甚だ静かで人の気は一般に沈んで居る。時々アーアーという歎声を漏らす人もある。一週間の碇泊とは随分長い感・・・ 正岡子規 「病」
夏休みの十五日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、二日か三日ごと、仕事が一きりつくたびに、よく遊びに行った処がありました。 それは本とうは海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。北上川の西岸でした。東・・・ 宮沢賢治 「イギリス海岸」
・・・ 又三郎はみんなが丘の栗の木の下に着くやいなや、斯う云っていきなり形をあらわしました。けれどもみんなは、サイクルホールなんて何だか知りませんでしたから、だまっていましたら、又三郎はもどかしそうに又言いました。「サイクルホールの話、お・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・大学士はにこにこ笑い立ちどまって巻煙草を出しマッチを擦って煙を吐く。それからわざと顔をしかめごくおうように大股に岬をまわって行ったのだ。ところがどうだ名高い楢ノ木大学士が釘付けにされたように立ちどまった。・・・ 宮沢賢治 「楢ノ木大学士の野宿」
・・・一度梟身を尽して、又新に梟身を得、審に諸の患難を被りて、又尽くることなし。 で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此の席はその次じゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷上人のご懇請によって、直ちに説法をなされ・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫