・・・競馬に加わる若い者はその妙齢な娘の前で手柄を見せようと争った。他人の妾に目星をつけて何になると皮肉をいうものもあった。 何しろ競馬は非常な景気だった。勝負がつく度に揚る喝采の声は乾いた空気を伝わって、人々を家の内にじっとさしては置かなか・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 流の処に、浅葱の手絡が、時ならず、雲から射す、濃い月影のようにちらちらして、黒髪のおくれ毛がはらはらとかかる、鼻筋のすっと通った横顔が仄見えて、白い拭布がひらりと動いた。「織坊。」 と父が呼んだ。「あい。」 ばたばたと・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ また髪は、何十度逢っても、姿こそ服装こそ変りますが、いつも人柄に似合わない、あの、仰向けに結んで、緋や、浅黄や、絞の鹿の子の手絡を組んで、黒髪で巻いた芍薬の莟のように、真中へ簪をぐいと挿す、何転進とか申すのにばかり結う。 何と絵蝋・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・緋も紅も似合うものを、浅葱だの、白の手絡だの、いつも淡泊した円髷で、年紀は三十を一つ出た。が、二十四五の上には見えない。一度五月の節句に、催しの仮装の時、水髪の芸子島田に、青い新藁で、五尺の菖蒲の裳を曳いた姿を見たものがある、と聞く。……貴・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ けれども、脊恰好から、形容、生際の少し乱れた処、色白な容色よしで、浅葱の手柄が、いかにも似合う細君だが、この女もまた不思議に浅葱の手柄で。鬢の色っぽい処から……それそれ、少し仰向いている顔つき。他人が、ちょっと眉を顰める工合を、その細・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・……水浅葱の手絡で円髷に艶々と結ったのが、こう、三島の宿を通りかかる私たちの上から覗くように少し乗出したと思うと、――えへん!……居士が大な咳をしました。女がひょいと顔をそらして廂へうつむくと、猫が隣りから屋根づたいに、伝うのです。どうも割・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・「お手柄、お手柄。」 土間はたちまち春になり、花の蕾の一輪を、朧夜にすかすごとく、お町の唇をビイルで撓めて、飲むほどに、蓮池のむかしを訪う身には本懐とも言えるであろう。根を掘上げたばかりと思う、見事な蓮根が柵の内外、浄土の逆茂木。勿・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ と白い手と一所に、銚子がしなうように見えて、水色の手絡の円髷が重そうに俯向いた。――嫋かな女だというから、その容子は想像に難くない。欄干に青柳の枝垂るる裡に、例の一尺の岩魚。うぐいと蓴菜の酢味噌。胡桃と、飴煮の鮴の鉢、鮴とせん牛蒡の椀・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・膝で豆算盤五寸ぐらいなのを、ぱちぱちと鳴らしながら、結立ての大円髷、水の垂りそうな、赤い手絡の、容色もまんざらでない女房を引附けているのがある。 時節もので、めりやすの襯衣、めちゃめちゃの大安売、ふらんねる切地の見切物、浜から輸出品の羽・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・露の垂りそうな円髷に、桔梗色の手絡が青白い。浅葱の長襦袢の裏が媚かしく搦んだ白い手で、刷毛を優しく使いながら、姿見を少しこごみなりに覗くようにして、化粧をしていた。 境は起つも坐るも知らず息を詰めたのである。 あわれ、着た衣は雪の下・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
出典:青空文庫