・・・ ですもの、どうして病人の力になんぞ、なってくれる事が出来ましょう。 こう申しちゃ押着けがましゅうございますが、貴方はお見受け申したばかりでも、そんな怪しげな事を爪先へもお取上げ遊ばすような御様子は無い、本当に頼母しくお見上げ申しま・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・それを考えてくれたら、鼻の上に汗をためて――そんな陰口は利けなかった筈だ。 その写真の人は眼鏡を掛けていたのだ。と言ってもひとにはわかるまい。けれど、とにかく私にとっては、その人は眼鏡を掛けていたのだ。いや、こんな気障な言い方はよそう。・・・ 織田作之助 「天衣無縫」
植物学の上より見たるくだものでもなく、産物学の上より見たるくだものでもなく、ただ病牀で食うて見たくだものの味のよしあしをいうのである。間違うておる処は病人の舌の荒れておる故と見てくれたまえ。○くだものの字義 くだもの、という・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・仕事のお出来になる筈の方なのに、やはり子供の世話や、家庭のことに、半ばはとられて、ただ、仕事の方により力の重心の傾く場合と、家事の方に傾く場合とは、間断なくあるでしょうが、どうしても力の入れ方がちがってくるのだと思います。これはまた一面人々・・・ 宮本百合子 「十年の思い出」
・・・「放してくれ、此奴逝わさにゃ、腹の虫が納るかい。」「泣きやがるな!」「何にッ!」 秋三は人々を振り切った。そして、勘次の胸をめがけて突きかかると、二人はまた一つの塊りになって畳の上へぶっ倒れた。酒が流れた。唐の芋が転がった。・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫