・・・ 東西を連山で囲まれた湖畔は、非常に天候が不定でございます。今のように朗らかに晴れ渡った空も、決して夜の快晴の予言ではございません。山並の彼方から、憤りのようにムラムラと湧いた雲が、性急な馳足で鈍重な湖面を圧包むと、もう私共は真個に暗紅・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・によって先頭をきられた一系列の作家の作品の出現によって愈々暗鬱なものとなった。転向文学という一時的な概括で云われたこれらの作品の特徴は、知識人としての作者たちが時代の中に経た生活と思想経験の歴史的な価値と意味とを我から抹殺して、一つの理想に・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・一九四〇年春ごろから非転向の人たちだけの統一公判がはじまった。事件のあった時から足かけ八年目である。 転向を表明した人々の公判が分離して行われ、大泉兼蔵の公判も行われた。当時傍聴席は、司法関係者と特高だけで占められていた。家族として傍聴・・・ 宮本百合子 「信義について」
・・・『大法輪』という四百六十余頁の大宗教雑誌は新年特輯に「転向者仏教座談会」を催し、そこの婦人記者となった長谷川寿子は、自身の略歴を前書にして「遂に過去の一切の共産思想という運動を清算し」大谷尊由に対談して、長谷川「歎異鈔なんか拝読いたしますと・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 大抵一昼夜経てば天候は変るのに、その雨は三十日になってもやまず、一日同じひどさ、同じ沛然さで、天から降り落ちた。雨の音がひどいので、自分の入って居る家以外皆家も人も存在を消されたように感じた。床についてから、洗い流すような水の音、二階・・・ 宮本百合子 「一九二五年より一九二七年一月まで」
・・・「急進的な小ブルジョア作家たちの、労働階級への転向は、プロレタリアートが資本主義との闘争において小ブルジョア的労働者の広汎な大衆を自分の側にひきよせることをしめしているものである。」 それ故「小ブルジョア作家、文学者たちを資本主義か・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・ 読者に奇異の感を与えるそのような冒頭の文句ではじまる、長文の上申書の終りは、かつての転向上申書の書式を思わせ、共産党への罵倒と「いかなる罰も天命であって人智のなすべからざるところと。そして後、新たなる魂をもって邦家のために生き抜こうと・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・私共は大浦の天主堂にいるうちに、天候が定ったらしいので俄に思い立ち、大浦停留場から電車に乗ったのであった。 終点から、細い川沿いに、車掌の教えてくれた通り進んだが、程なく二股道に出た。一方は流れに架った橋を越して、小高い丘の裾を廻る道、・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・親や家族のものが、本人にとってたえがたい裏切りや転向のために、いろいろとたくらむのは、みんな権力がその人たちをおどすからである。集団的な自主の行動を、おそろしいことのように、わるいことのように思わせるからである。 憲法・民法が個人の自由・・・ 宮本百合子 「肉親」
・・・ 此の日は、自分に、一生の運命の或決定的な転向を暗示した時である。 人生観の裡に含まれた、多くの曖昧さ、其等は皆、所謂よい家庭の習俗と、甘い、方便に安んじ得る妥協的な利己から来て居たものが、明かな光に照り出された。 ・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
出典:青空文庫