・・・ 早い春の暮方、その頃歌をやって居た私共六七人のものは、学校の裏の草の厚い様な所に安永さんを中心に円く座って、てんでに詠草の見っこをして居た。 その時、私の樫の木の歌の中に「空にひ入る」と云う言葉があったのを、「私にはあんまり強・・・ 宮本百合子 「ひととき」
・・・それから老人や女は自殺し、幼いものはてんでに刺し殺した。それから庭に大きい穴を掘って死骸を埋めた。あとに残ったのは究竟の若者ばかりである。弥五兵衛、市太夫、五太夫、七之丞の四人が指図して、障子襖を取り払った広間に家来を集めて、鉦太鼓を鳴らさ・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・「そうだね。てんでに自分の職業を遣って、そんな問題はそっとして置くのだろう。僕は職業の選びようが悪かった。ぼんやりして遣ったり、嘘を衝いてやれば造做はないが、正直に、真面目に遣ろうとすると、八方塞がりになる職業を、僕は不幸にして選んだのだ。・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・ 八月になって、司令部のものもてんでに休暇を取る。師団長は家族を連れて、船小屋の温泉へ立たれた。石田は纏まった休暇を貰わずに、隔日に休むことにしている。 表庭の百日紅に、ぽつぽつ花が咲き始める。おりおり蝉の声が向いの家の糸車の音にま・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・どの客もてんでに勝手な事を考えているらしい。百物語と云うものに呼ばれては来たものの、その百物語は過ぎ去った世の遺物である。遺物だと云っても、物はもう亡くなって、只空き名が残っているに過ぎない。客観的には元から幽霊は幽霊であったのだが、昔それ・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫