・・・七兵衛は口軽に、「とこう思っての、密と負って来て届かねえ介抱をしてみたが、いや半間な手が届いたのもお前の運よ、こりゃ天道様のお情というもんじゃ、無駄にしては相済まぬ。必ず軽忽なことをすまいぞ、むむ姉や、見りゃ両親も居なさろうと思われら、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ と遠慮らしく店頭の戸を敲く。 天窓の上でガッタリ音して、「何んじゃ。」 と言う太い声。箱のような仕切戸から、眉の迫った、頬の膨れた、への字の口して、小鼻の筋から頤へかけて、べたりと薄髯の生えた、四角な顔を出したのは古本屋の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・ と黄饅頭を、点頭のままに動かして、「茸――松露――それなら探さねば爺にかて分らぬがいやい。おはは、姉さんは土地の人じゃ。若いぱっちりとした目は、爺などより明かじゃ。よう探いてもらわっしゃい。」「これはお隙づいえ、失礼しました。・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・「……我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心……」 白髪に尊き燈火の星、観音、そこにおはします。……駈寄って、はっと肩を抱いた。「お祖母さん、どうして今頃御経を誦むの。」・・・ 泉鏡花 「第二菎蒻本」
・・・ その時、この気軽そうな爺さんが、重たく点頭した。「……阿武隈川が近いによって、阿武沼と、勿体つけるで、国々で名高い、湖や、潟ほど、大いなものではねえだがなす、むかしから、それを逢魔沼と云うほどでの、樹木が森々として凄いでや、めった・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・三昼夜麻畑の中に蟄伏して、一たびその身に会せんため、一粒の飯をだに口にせで、かえりて湿虫の餌となれる、意中の人の窮苦には、泰山といえども動かで止むべき、お通は転倒したるなり。「そんなに解っているのなら、ちょっとの間、大眼に見ておくれ。」・・・ 泉鏡花 「琵琶伝」
・・・ 阿房宮より可恐しく広いやと小宮山は顛倒して、手当り次第に開けた開けた。幾度遣っても笥の皮を剥くに異ならずでありまするから、呆れ果ててどうと尻餅、茫然四辺をみまわしますると、神農様の画像を掛けた、さっき女が通したのと同じ部屋へ、おやおや・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ そして坊さんが言うのに、まず見た処この拇指に、どの位な働きがあると思わっしゃる、たとえば店頭で小僧どもが、がやがや騒いでいる処へ、来たよといって拇指を出して御覧なさい、ぴったりと静りましょう、また若い人にちょっと小指を見せたらどうであ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 胸、肩を揃えて、ひしと詰込んだ一列の乗客に隠れて、内証で前へ乗出しても、もう女の爪先も見えなかったが、一目見られた瞳の力は、刻み込まれたか、と鮮麗に胸に描かれて、白木屋の店頭に、つつじが急流に燃ゆるような友染の長襦袢のかかったのも、そ・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・自分は点頭して得心の意を示した。母は自分の顔を見て危む風で「おまえ泊れるかい夜半時分に泣出しちゃ困るよ」と笑ってる。お松は自分が何と云うかと思うらしく自分の顔色を見てる。「泊れるでしょう」 お松はこう云って熱心に自分に摺寄った。お松・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
出典:青空文庫