・・・新聞には三千五百円の句集ということが話題にされているけれども、この間の晩、三省堂の店頭に据えられたマイクは、あんなに書籍払底を訴えていた。それを訴える声々は、どれもみんな若かった。その声よりも稚い国民学校の子供たち、絵本のほしい子供たち、そ・・・ 宮本百合子 「豪華版」
・・・その後自動車でのぼり二十分ばかり来ると、桜並木のところに、店頭にお菓子を並べてタバコの赤いかんばんが出ている、そこがせきやです。部屋からは、その桜並木、むこうの杉山、目の前には杉、桜、楓など。お湯はおだやかな性質で、よくあたたまります。ウス・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・本屋の店頭には、割合お粗末なのがどんどん並べられているが、友達はそれをもらわないというようなのも現代風景です。 今日は一時間程本棚をいじりましたが、私達の本も文学史の勉強の為には、もう決して手離せない様なものだけになりましたね。大人の本・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・箇性の各種の発動を自由ならしめる為の社会組織は、その物質的圧迫、或は群集の常識的低見の為に、却って伝習的形式の下に尊むべき箇性を従属せしめようと仕兼ねない価値顛倒に陥って居るのでございます。 私は勿論、前にも其と同様の心持を陳べた通り、・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・ 日本のきょうの文学、しかも西欧的なものを意欲していると云われる人々の文学にあるこの奇怪な顛倒と時代錯誤への屈従、追随こそ、批評家を無力にし、骨抜きにしている。別の云いかたをすると、戦後の批評家の多くは、その人自身、国内亡命をしていた人・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・ お恥しゅうございますが何しろ私もつい顛倒しておりますものですから……ハ? はい、はい。本年はどうもあの方が特別おやかましいということだもんでございますから、本当にもう……。と上気した眼色が察しられる声の様子である。では、どうぞあしから・・・ 宮本百合子 「新入生」
・・・つづいて自身の病気にふれ、子供さんの病気に心痛顛倒する自身の心持に語り及んでそこへ私の名がひきあわされているので、自然読むと、私が「子供を愛したりするとヒューマニズムの線が下向する」と云っているとのことが書かれてある。それに反対の心持として・・・ 宮本百合子 「夜叉のなげき」
・・・彼の眼前で彼の率いた一兵卒が、弾丸に撃ち抜かれて顛倒した。彼はその銃を拾い上げると、先登を切って敵陣の中へ突入した。彼に続いて一大隊が、一聯隊が、そうして敵軍は崩れ出した。ナポレオンの燦然たる栄光はその時から始まった。だが、彼の生涯を通して・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・ 馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、将棋を三番さして負け通した。「何に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂を脱れた日の光は、彼の腰から、円い荷物のような猫背の上へ乗りかかって来た。 三 宿場の・・・ 横光利一 「蠅」
・・・対象は変わって行くが、態度は同じなのである。天道の理、尭舜の道、五倫の教えは、ほとんど宗教的な情熱をもって説かれている。天道というのも、ここでは「天地の間のあるじ」なのであって、抽象的な道理なのではない。その「あるじ」が万物に充満していると・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫