・・・電燈の真下の電柱にいつもぴったりと身をつけているのである。しばらく見ていると、その青蛙はきまったように後足を変なふうに曲げて、背中を掻く模ねをした。電燈から落ちて来る小虫がひっつくのかもしれない。いかにも五月蠅そうにそれをやるのである。私は・・・ 梶井基次郎 「闇の絵巻」
・・・あるいは寛喜、貞永とつづいて飢饉が起こって百姓途上にたおれ、大風洪水が鎌倉地方に起こって人畜を損じ、奥州には隕石が雨のごとく落ち、美濃には盛夏に大雪降り、あるいは鎌倉の殿中に怪鳥集まるといった状況であった。日蓮は世相のただならぬことを感じた・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・世界じゅうに一本も電柱がなくなるというのはどんなにさばさばしたことでしょうね。だいいち、あなた、ちゃんばら活動のロケエションが大助かりです。私は役者ですよ。」 マダムは眼をふたつ乍ら煙ったそうに細めて、青扇のでらでら油光りしだした顔をぼ・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・運わるく彼の挨拶がむこうの不注意からそのひとに通じなかったときや、彼が昨晩ほね折って貼りつけたばかりの電柱のビラが無慙にも剥ぎとられているのを発見するときには、ことさらに仰山なしかめつらをするのであった。やがて彼は、そのまちでいちばん大きい・・・ 太宰治 「猿面冠者」
・・・甲府駅のまえまで、十五、六丁を一気に走ったら、もう、流石にぶったおれそうになった。電柱に抱きつくようにして寄りかかり、ぜいぜい咽喉を鳴らしながら一休みしていると、果して、私のまえをどんどん走ってゆく人たちは、口々に、柳町、望富閣、と叫び合っ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・気違いの真似だと言って電柱によじのぼったりする奴は気違いである、聖人賢者の真似をして、したり顔に腕組みなんかしている奴は、やっぱり本当の聖人賢者である、なんて、いやな事が書かれてあったが、浮気の真似をする奴は、やっぱり浮気、奇妙に学者ぶる奴・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・かならず、電柱を突き、樹木の幹を殴りつけ、足もとの草を薙ぎ倒す。すぐ漁師まち。もう寝しずまっている。朝はやいのだから。泥の海。下駄のまま海にはいる。歯がみをして居る。死ぬことだけを考えてる。男ありて大声叱咤、私つぶやいて曰く、船橋のまちには・・・ 太宰治 「めくら草紙」
・・・おそらく途中の本屋の店先かあるいは電柱のビラ紙かで、ちらと無意識に瞥見したかあるいは思い浮かべたこの文字が、識域のつい下の所に隠れていて、それが、この時急に飛び出して来たのかもしれないと思う。もっともそれにしたところで、広瀬中佐の銅像を見て・・・ 寺田寅彦 「神田を散歩して」
・・・しかし崖に樹った電柱の処で崩壊の伝播が喰い止められているように見える。理由はまだよく分らないが、ことによるとこれは人工物の弱さを人工で補強することの出来る一例ではないかと思われた。両岸の崩壊箇所が向かい合っているのもやはり意味があるらしい。・・・ 寺田寅彦 「静岡地震被害見学記」
・・・とか「電柱だよ」とか一々説明してくれる人もあって、なんだか少し背中や首筋のへんがくすぐったいような気持ちもした。そういう人の同情に報いるためには私の絵がもう少し人の目にうまく見えなければ気の毒だと思うのであった。 ほんのだいたいの色と調・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫