我々の、未だ完全に世界化されない生活感情では、兎角外国で起った事は、まるで異った遊星に生じた現象ででもあるかのような、間接さを以て、一般に迎えられる。理論は、既に、或る程度まで宇宙的になっているだろう。然し、真実、一人一人・・・ 宮本百合子 「アワァビット」
・・・ 今日の女優には、数百の見物の眼と、与えられた役割との間に迷って、兎角あまり素晴らしくもない素の自分を露出させて仕舞う芸術上の未熟が付き纏っている。女形には、芸の上に於て、其那腕のなさはない代り、どうしても、エキスプレッションが、女形の・・・ 宮本百合子 「気むずかしやの見物」
・・・ 異性が異性を見る場合に、兎角起り勝ちな、又、殆ど総ての場合に附帯して来る、多大の寛容と、多大の苛酷さが、アメリカの婦人に対しても両方の解決を与えるのだと思います。 まして、現代の日本の男性に表われて居る二つの型――勿論其は至極粗雑・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・婦人は、平静に母親らしい落付きを保とうと努めながら、愛撫や囁きやアルコオルのため兎角ぐらつきそうになる。映画では大抵若い役者の役割であるラブ・シーンが、このように禿げた男、このように皮膚が赧らみ強ばった女によって現実になされるのを目撃するの・・・ 宮本百合子 「三鞭酒」
・・・小才覚があるので、若殿様時代のお伽には相応していたが、物の大体を見ることにおいてはおよばぬところがあって、とかく苛察に傾きたがる男であった。阿部弥一右衛門は故殿様のお許しを得ずに死んだのだから、真の殉死者と弥一右衛門との間には境界をつけなく・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・自殺したものとなるととかく何かしら忘れて来るものだ。そのために娑婆のものが迷惑するかも知れない。どうだな。」役人はこわい目をしてツァウォツキイを見た。自殺者を見るには、いつもこんな目附をするのである。「そうですね。忘れたと云えば、子供の・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・哲学者などといえばとかく人生のことに迂遠な、小難かしい理屈ばかり言っている人のように思われるが、先生は決してそんな干からびた学者ではない。それは先生が藤岡東圃の子供をなくしたのに同情して、自分が子供をなくした経験を書いていられる文章を見ても・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫