・・・彼は何か気軽になり、目の前の大蜥蜴に「失敬」をした。大蜥蜴は明治何年か以来、永久に小蛇を啣えている。永久に――しかし彼は永久にではない。腕時計の二時半になったが最後、さっさと博物館を出るつもりである。桜はまださいていない。が、両大師前にある・・・ 芥川竜之介 「早春」
・・・椅子は蜥蜴の皮に近い、青いマロック皮の安楽椅子だった。僕は鞄をあけて原稿用紙を出し、或短篇を続けようとした。けれどもインクをつけたペンはいつまでたっても動かなかった。のみならずやっと動いたと思うと、同じ言葉ばかり書きつづけていた。All r・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・もう車廻しの砂利の上には蜥蜴が一匹光っている。人間は足を切られたが最後、再び足は製造出来ない。しかし蜥蜴は尻っ尾を切られると、直にまた尻っ尾を製造する。保吉は煙草を啣えたまま、蜥蝪はきっとラマルクよりもラマルキアンに違いないと思った。が、し・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・さあ、七顛八倒、で沼みたいな六畳どろどろの部屋を転摺り廻る……炎が搦んで、青蜥蜴ののたうつようだ。 私あ夢中で逃出した。――突然見附へ駈着けて、火の見へ駈上ろうと思ったがね、まだ田町から火事も出ずさ。 何しろ馬鹿だね、馬鹿も通越して・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・が、実は蛇ばかりか、蜥蜴でも百足でも、怯えそうな、据らない腰つきで、「大変だ、にょろにょろ居るかーい。」「はああ、あアに、そんなでもねえがなし、ちょくちょく、鎌首をつん出すでい、気をつけさっせるがよかんべでの。」「お爺さん、おい・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 犬ほどの蜥蜴が、修羅を燃して、煙のように颯と襲った。「おどれめ。」 と呻くが疾いか、治兵衛坊主が、その外套の背後から、ナイフを鋭く、つかをせめてグサと刺した。「うーむ。」と言うと、ドンと倒れる。 獺橋の婆さんが、まだ火・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・これはね大工が家を造る時に、誤って守宮の胴の中へ打込んだものじゃ、それから難破した船の古釘、ここにあるのは女の抜髪、蜥蜴の尾の切れた、ぴちぴち動いてるのを見なくちゃ可と差附けられました時は、ものも言われません。どうして私が知っておりまし・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・「蛇や、蝮でさえなければ、蜥蜴が化けたって、そんなに可恐いもんですか。」「居るかい。」「時々。」「居るだろうな。」「でも、この時節。」「よし、私だって驚かない。しかし、何だろう、ああ、そうか。おはぐろとんぼ、黒とんぼ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 初夏からかけて、よく家の中へ蜥蜴やら異様な毛虫やらがはいってきた。彼はそうしたものを見るにつけ、それが継母の呪いの使者ではないかという気がされて神経を悩ましたが、細君に言わせると彼こそは、継母にとっては、彼女らの生活を狙うより度しがた・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・老人は、切断された蜥蜴の尻尾のように穴の中ではねまわった。彼は大きい、汚れた手で土を無茶くちゃに引き掻いた。そして、穴の外へ盲目的に這い上ろうとした。「俺は死にたくない!」彼は全身でそう云った。 将校は血のついた軍刀をさげたまゝ、再び軍・・・ 黒島伝治 「穴」
出典:青空文庫