・・・「そのころ渡船を業となすもの多きうちにも、源が名は浦々にまで聞こえし。そは心たしかに侠気ある若者なりしがゆえのみならず、べつに深きゆえあり、げに君にも聞かしたきはそのころの源が声にぞありける。人々は彼が櫓こぎつつ歌うを聴かんとて撰びて彼・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・お相撲さんというのは、当時奥戸の渡船守をしていた相撲上りの男であったのである。少年の談の中には裏面に何か存していることが明白に知られた。 そうかい。そしてまた今日はどうして此処へ来たのだい。 だってせっかく釣って帰っても、今小父さん・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・河を渡船で渡る。勿論土佐の日下は山地である、人名等より来たであろうが、もとは渡しかもしれぬ、崇神紀に「クスハノワタシ」というのがある。十市 「トンチ」穴。また「トツエ」は沼の潰れし処。またチャム「ト」は中央「テ」は場所。十市の地名は記紀・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・上流の小松島から橋場へわたる渡船も大正の初めには早く白鬚橋がかけられて乗る人がなくなったので、現在では隅田川に浮ぶ渡船はどこを眺めても見られなくなった。 わたくしはこれらの渡船の中で今戸の渡しを他処のものより最も興味深く思返さねばならな・・・ 永井荷風 「水のながれ」
・・・隅田の水はまだ濁らず悪臭も放たず清く澄んでいたので渡船で河を越す人の中には、舷から河水で手を洗うものさえあった。 曳舟まで出て見ると、場末の町つづきになって百花園も遠くはない。百花園から堀切の菖蒲園も近くなって来る。堀切のあたりは放水路・・・ 永井荷風 「向島」
・・・「金曜日の朝六時にクルバートフの波止場へ来てクラスノヴィードヴォからの渡船を訊きたまえ。主人は、ワシリー・パンコフだ」 立ち上り、ゴーリキイに幅の広い掌をさし出し片手で重そうな銀のパン時計を取出して云った。「六分で済んじまった!・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・同一の人が同一の場所へ請待した客でありながら、乗合馬車や渡船の中で落ち合った人と同じで、一人一人の間になんの共通点もない。ここかしこで互に何か言うのは、時候の挨拶位に過ぎない。ぜんまいの戻った時計を振ると、セコンドがちょっと動き出して、すぐ・・・ 森鴎外 「百物語」
出典:青空文庫