・・・ 丁度その途端です。誰か外へ来たと見えて、戸を叩く音が、突然荒々しく聞え始めました。 二 その日のかれこれ同じ時刻に、この家の外を通りかかった、年の若い一人の日本人があります。それがどう思ったのか、二階の窓から顔・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・その途端に侍の手が刀の柄前にかかったと思うと、重ね厚の大刀が大袈裟に左近を斬り倒した。左近は尻居に倒れながら、目深くかぶった編笠の下に、始めて瀬沼兵衛の顔をはっきり見る事が出来たのであった。 二 左近を打たせた・・・ 芥川竜之介 「或敵打の話」
・・・するとその途端である。馭者は鞭を鳴らせながら、「スオ、スオ」と声をかけた。「スオ、スオ」は馬を後にやる時に支那人の使う言葉である。馬車はこの言葉の終らぬうちにがたがた後へ下り出した。と同時に驚くまいことか! 俺も古本屋を前に見たまま、一足ず・・・ 芥川竜之介 「馬の脚」
・・・ あれはトタンというものだ」 僕はこういう問答のため、妙に悄気たことを覚えている。その先輩は中学を出たのち、たちまち肺を犯されて故人になったとかいうことだった。 二六 いじめっ子 幼稚園にはいっていた僕はほとんど・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・午後はトタン屋根に日が当るものですから、その烈しい火照りだけでもとうてい本などは読めません。では何をするかと言えば、K君やS君に来て貰ってトランプや将棊に閑をつぶしたり、組み立て細工の木枕をして昼寝をしたりするだけです。五六日前の午後のこと・・・ 芥川竜之介 「手紙」
・・・ 隔の襖は裏表、両方の肩で圧されて、すらすらと三寸ばかり、暗き柳と、曇れる花、淋しく顔を見合せた、トタンに跫音、続いて跫音、夫人は衝と退いて小さな咳。 さそくに後を犇と閉め、立花は掌に据えて、瞳を寄せると、軽く捻った懐紙、二隅へはた・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ と優しい声を聞いて、はっとした途端に、真上なる山懐から、頭へ浴びせて、大きな声で、「何か、用か。」と喚いた。「失礼!」 と言う、頸首を、空から天狗に引掴まるる心地がして、「通道ではなかったんですか、失礼しました、失礼で・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 足が浮いて、ちらちらと高く上ったのは――白い蝶が、トタンにその塗下駄の底を潜って舞上ったので。――見ると、姫はその蝶に軽く乗ったように宙を下り立った。「お床几、お床几。」 と翁が呼ぶと、栗鼠よ、栗鼠よ、古栗鼠の小栗鼠が、樹の根・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭を左右に振ったが、突然水中へ手を入れると、朦朧として白く、人の寝姿に水の懸ったのが、一揺静に揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波浴せたが・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・、席をお立ちになった御容子を見れば、その時まで何事も御存じではなかったのが分って、お心遣いの時間が五分たりとも少なかった、のみならず、お身体の一箇処にも紅い点も着かなかった事を、――実際、錠をおろした途端には、髪一条の根にも血をお出しなすっ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
出典:青空文庫