・・・諫を聴ずして怒らば先づ暫く止めて、後に夫の心和ぎたる時又諫べし。必ず気色を暴し声をいらゝげて夫に逆い叛ことなかれ。 此一章は専ら嫉妬心を警しむるの趣意なれば、我輩は先ず其嫉妬なる文字の字義を明にせんに、凡そ他人の為す所にして我身・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・次第に脣と脣との出合ったのが離れにくくなりますのを、わたくしはわざと自分でも気に留めないようにしていましたの。そして手の震えるのをお互に隠し合うようにしていましたっけね。 そのうちお互に何も口に出さずにいて、とうとうあなたは土地を離れて・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・そこで日本と西洋との比較を止めて、日本画中の比較評論、西洋画中の比較評論というように別々に話してもろうた。そうすると一日一日と何やら分って行くような気がして、十ヶ月ほどの後には少したしかになったかと思うた。その時虚心平気に考えて見ると、始め・・・ 正岡子規 「画」
・・・すると父は手紙を読んでしまってあとはなぜか大へんあたりに気兼ねしたようすで僕が半分しか云わないうちに止めてしまった。そしてよく相談するからと云った。祖母や母に気兼ねをしているのかもしれない。五月八日 行く人が大ぶあるようだ。・・・ 宮沢賢治 「或る農学生の日誌」
・・・ 廻すのを止め、一ヵ所を指さした。「なあに」 覗いて見て、陽子は笑い出した。「――貴君じゃあるまいし」「なに? なに?」 ふき子が、従姉の胸の前へ頭を出して、忠一の手にある献立を見たがった。「サンドウィッチ」する・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・これらの女はみな男よりも小股で早足に歩む、その凋れたまっすぐな体躯を薄い小さなショールで飾ってその平たい胸の上でこれをピンで留めている。みんなその頭を固く白い布で巻いて髪を引き緊めて、その上に帽子を置いている。 がたがた馬車が、跳ね返る・・・ 著:モーパッサン ギ・ド 訳:国木田独歩 「糸くず」
・・・と呼びかけながら、追いすがって押し止めた。続いて二三人立ちかかって、権兵衛を別間に連れてはいった。 権兵衛が詰衆に尋ねられて答えたところはこうである。貴殿らはそれがしを乱心者のように思われるであろうが、全くさようなわけではない。父弥一右・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・ツァウォツキイはすぐに死んで、ユリアの名をまだ脣の上に留めながら、ポッケットに手品に使う白い球を三つと、きたない骨牌を一組入れたまま、死骸は鉄道の堤の上から転げ落ちた。 ツァウォツキイの死骸は墓地の石垣の傍に埋められた。その時グランの僧・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・上げた南部鉄の矢の根を五十筋、おのおのへ二十五筋、のう門出の祝いと差し出して、忍藻聞けよ――『二方の中のどなたでも前櫓で敵を引き受けなさるならこの矢の根に鼻油引いて、兜の金具の目ぼしいを附けおるを打ち止めなされよ。また殿で敵に向いなさるなら・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・と、俄に彼の太い眉毛は、全身の苦痛を受け留めて慄えて来た。「余はナポレオン・ボナパルトだ。余はナポレオン・ボナパルトだ」 彼は足に纏わる絹の夜具を蹴りつけた。「余は、余は」 彼は張り切った綱が切れたように、突如として笑い出し・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
出典:青空文庫